「美しき挑発 レンピッカ展 −本能に生きた伝説の画家」を見に行く

 昨日、神戸の兵庫県立美術館まで「レンピッカ展」を見に行ってきました。私は、生来、絵画にはまったく興味がないのですが、テレビで紹介されていたのを見て、インパクトに圧倒されて、見てみる気になったのです。

 Tamara De Lempickaは、1898年生まれ。1020年代のアールデコ全盛の時代に脚光を浴びた画家ということで、この時代の雰囲気をうまくつかんだ絵を描いています。
 1920年代というのは、自動車、飛行機、電話、高層ビル、大量生産などと言った科学技術に裏付けされた世の中の進歩が素直に称賛され、気恥かしいほどの明るい未来が描かれた時代ではなかったかと思います。
 この時代の工業製品には、自動車や列車などで多く見られた「流線形」のデザインや、ニッケルやクロームなど輝く金属で価値を表現したデザインなどが多く見られます。クロームメッキを多用してラウンド感を強調させたデザインは、家電の世界では「レトロデザイン」と呼ばれており、調理家電商品などでは時代を超えて一定の需要があります。

 レンピッカの絵は、この時代のトレンドをうまく表現しています。
 緑や白の色彩は、金属粉を使っているわけではないのに、パール塗装されたかのように輝いて見えます。
 装飾を排したシンプルで大胆な線は、この時代の機能性を追求したインダストリアルデザインや、カッサンドラに代表されるポスターなどのグラフィックと共通しています。
 人物の背景には、伝統的な西洋絵画における田園風景ではなく、摩天楼の風景が描かれており、ストレートに都会のイメージを強調しています。 

 レンピッカは、アールデコの時代をあまりにぴったりと表現してしまったがために、その後、世の中の流行が移り変わると、「時代遅れ」という烙印を押され、不遇の時代を送るようになります。
 1940年代以降、試行錯誤をしながらスタイルを変えていった時代の絵も多く展示されていましたが、1920年代後半に描かれた絵にあるような、恐ろしくなるほどの輝きと勢いは、この時代の絵からはまったく感じられませんでした。


 アールデコというのは、パリを中心としたヨーロッパ、そして少し遅れてアメリカで流行したトレンドですが、この時代と言うのは、欧米の歴史においては、シンプルに「未来感」「モダンさ」を追求していた時代だと思います。映画「未来世紀ブラジル」に出てくる風物はまさに、この時代における未来のイメージです。
 こうした風潮は、アールデコの流行が終わった後も、アメリカにおいては、第2次世界大戦をはさんで1950年代まで続いていたようです。
 戦前の日本においても、都市部においては、アールデコ調の様式や「モダン」なライフスタイルというものは入り込んでおり、「モガ」などといった流行語もありました。しかし、まだ一般大衆の生活レベルが欧米とは違いすぎ、一部の超富裕層だけのものだったと思います。
 日本において、こうしたシンプルな科学万能主義的モダン未来志向が、一般化するのは、戦後の高度成長期でしょう。江戸時代からの旧い街並みがあちこちで取り壊され、道路がつくられ、新幹線が建設され、東京タワーをつくっていた時代。「鉄腕アトム」に出てくる未来社会がまさにこのイメージではないでしょうか。


 それでは、中国においては、どうでしょう?
 一般に、物質主義・科学発展万能主義の社会主義と、モダン志向のアールデコの相性は良いと思います。 私が上海に住んでいた1992年ごろというのは、解放前(1949年以前)から変わらない街並みに、周囲とまったく調和しない未来的なビルが建ち始めていたころでした。上海の人たちは、そうした未来デザインのビルを、素直に、科学発展の成果の象徴として捉えているようでした。
 当時の上海市内には、高層ビルは数えるほどしかありませんでした。延安東路にあった「聯誼大厦」、瑞金南路にあった「瑞金大厦」。この二つのビルは、日本企業も多く事務所を構えていたオフィスビルでした。展覧中心の裏にあった「上海商城」(ポートマンホテル)は、欧米企業の多く入った事務所と、ホテルとマンションの複合ビルでした。さらに、SHAN西南路には「新錦江ホテル」という未来型のタワーホテルがありました。市内には、戦前からの劣悪な低層住宅がひしめいていましたので、こうした高層ビルはどこからでも目印になったものです。

 「新錦江ホテル」は、国営ホテルで、ローカル資本の経営です。建物のデザインも、上海の人達の好みで決めたのでしょう。私はいつもこの新錦江ホテルは何と醜雑なデザインだろうと感じていました。当時の上海の街並みとはまるでマッチしていない、とってつけたような建物でした。

 当時、新錦江ホテルのすぐ近くには、日系のホテルオークラが経営する「花園飯店」があったのですが、こちらは、フランス租界エリアの建物ともマッチした、シンプルで渋い外観にフランス的な柔らかい装飾性も取り入れたデザインです。私はこちらの方がはるかに好きでした。アメリカから来た学生とも、「新錦江ホテル」は見るに堪えないけど、「花園飯店」はいいよね、という話をしていました。

 ところが、地元の学生たちは、みな「新錦江ホテル」の方が好き、と言うのです。「花園飯店」を見ると気分が憂鬱になる、とまで言う学生もいました。当時の中国では、世の中の進歩を素直に表現するデザインが好まれていたのです。

 その後20年近くの間に、上海には、数えきれきれないほどの高層ビルが立ち並び、かつて一面に張り付いていた戦前からの低層住宅は、ほとん消滅してしまったようです。当時、科学技術と発展の象徴だった「新錦江ホテル」も、そうした街並みの中に埋没してしまっているはずです。
 今の上海の人たちがどういう感覚を持っているかはわかりません。上海などの都市部では、すでに人々の感覚も変わってきているかも知れません。


 「アールデコ」というものは、世の中がまさに発展・成長しようとする時代における、その初期におきたトレンドのように思えます。
 欧米にアールデコが、1920年代〜30年代にあったのに対し、日本におけるそれに相当する時代は1950年代の高度成長期初期にあったのではないか。さらに中国においては、改革開放路線が成果の形を見せつつあった1990年代がそれに相当したのではないか、と思ったのでした。