司馬遼太郎の「坂の上の雲」

 「坂の上の雲」のドラマ放映が始まっています。
 もともと見ようと思っていたのですが、決まった時間にドラマを見ると言う生活習慣がないのと、1時間もTVドラマを見るのはたるくて我慢できない、ということで、ちょっと見かけてすぐにあきらめてしまいました。

 私は、司馬遼太郎のファンの一人です。
 とは言うものの司馬遼太郎の本を読み始めたのは遅く、20代後半だったと思います。それまでは、時代劇作家か何かかと思っていました。

 「坂之上の雲」は最初に読んだ司馬遼太郎の本のひとつです。
 この本の面白さは、日本にもかつて「合理的」な時代があった、ということを語っていることです。
 日本は、太平洋戦争という「非合理」の権化のような出来事を経験し、さらに現在も合理的とはいえない社会のシステムの中で、閉塞した政治・経済状況が続いています。そのため、日本という国は、過去からずーっと非合理的な国・社会であったかのようなイメージを漠然と持っている人は多いと思います。
 ところが、明治維新から日露戦争までの日本は、弱い国であったがために、生き延びるために、必死で、合理的に、科学的に、ものごとを考え、それを素直に実践しようとしていた、ということが、この本では書かれています。しかも最後に、それまでの必死の努力が実り、日本海海戦ロシア海軍を完膚なきまで粉砕し、ハッピーエンドで終わるわけです。閉塞した日本の現状から考えると、これが爽快でなくて何でしょう。



 司馬遼太郎の物事の考え方は、非常にバランスがとれていると思います。
 特に、小説の中でも繰り返し現れる、歴史に対する考え方、過去の戦争に対する考え方、アジア諸国に対する考え方は、私の考え方ともぴたっと一致します。(と言うか、私が影響を受けたことも大きいと思いますが)
 戦後、一世を風靡した左寄りの思想ではありませんし、また昨今台頭著しい右寄りの思想でもありません。
 どちらかに寄った思想の方が、わかりやすく、大衆にアピールしやすいのは確かなのですが、残念ながら現実の世の中は、一方的な視点からスパッと切れるほどシンプルではありません。
 バランスのとれた、現実を踏まえた考え方ほど、一言では表現できず、理解されにくくなってしまうものです。


 最近、危惧しているのは、世の中の右傾化です。TVの討論番組などを見ていても、鼻息の荒いのは、右寄りの発言をしている人ばかりです。
 何といっても右よりの発言はわかりやすい。中国などの外敵の話で危機感をあおれば、普通の人はみな右寄りになびくでしょう。日本はどうやら中国が強くなるのに比例して、右傾化していくようです。

 私も、軍事力を放棄すべきだ、非武装中立だ、と考えているわけではありません。当然、パワーバランスのためには、軍事力は不可欠でしょう。それは言うまでも無いことです。
 他の国の軍事力が強くなったからと言って、わざわざ大衆をけしかけて、むやみに周囲の国に敵対心をあおる必要は無いでしょう。
 足元の現実は現実として、粛々と軍事力をアップしてバランスをとればよいのであり、その一方で、人類の共通の理念として人権や国際友好、「友愛」やらを一貫して語れるかどうかが、国の成熟度・文化レベルをあらわしているのではないでしょうか?
 他の国が強くなったから、大変だ大変だと騒ぎ、相手が悪口言ったり嫌がらせしてきたら、こっちも対抗して同じ態度をとる、これでは子供の喧嘩レベルではないでしょうか? 
 日本という国の成熟度は、いまだ改革開放後30年しかたっていない中国と、同じレベルだったということでしょうか?
 残念でなりません。