日経ビジネス 2010.2.15特集 「トヨタの危機 瀬戸際の品質ニッポン」

 トヨタのリコール問題は、最近ずいぶんと世間をにぎわしていますが、私は正直それほどの問題だったのか疑問を感じています。プリウスのブレーキの件は、実際に事故が起こったわけでもなく、「フィーリングの問題」とも言われているようです。
 一般に「品質問題」と言われるものには、果たして「不良」なのか、あるいはそうでないのか、判断の困難なものが多くあります。一目で判るような不良であれば対応もシンプルでしょうが、そうでない限り、まず分析しようにも、その不良現象自体が再現しない、ということが多々起こります。原因を分析し、的確な対応をとるためには、長い時間と試行錯誤が必要とされるのが普通です。
 トヨタの場合は社会的影響力のきわめて大きい大企業として、社会の模範を示すという大きな責任を期待されてしまう立場にあるのでしょう。

 さて、日経ビジネスの記事の中で、いくつか気になるポイントがありましたので、書いてみたいと思います。

藤本隆宏氏の寄稿 「複雑化という魔物に苦しむ」

 藤本氏は、トヨタの一連のリコール問題の背景を、切れ味良く解析されています。
 一つ目の原因は、自動車産業における製品・事業の「複雑化」が、現場の能力構築のスピードを上回っていた、ということ。
 ハイブリッド車などにおける高度な電子制御においては、複雑な製品設計が必要とされる。トヨタはそのレースで先頭を走ってきたものの、自らのスピードが速すぎて、コーナーを回ったところで足がからまってつまずいた、という状況のようです。

 もう一つの原因は、トヨタ本社の一部で見られた組織風土の緩みです。自社の品質への過信による傲慢な対応が、本社では根強く見られた、ということです。
 しかしながら、モノづくりの現場では慢心があるわけではなく、現場力自体が崩壊しているわけではない。よって、依然世界最高水準にある複雑化問題への対応力を着実に強化し、本来の経営哲学にのっとり本社の慢心を諫めれば、トヨタは迅速に立ち直るはずだ、と評しています。

 また、ここから話を展開させて、藤本氏は、米国向けの複雑な設計のクルマで勝負する路線以外に、成長する新興国向けにシンプルで低価格なクルマもつくる必要がある、と述べています。グループ企業内に、複雑化路線を進める「正規軍」と、シンプル化路線に対応する「ゲリラ部隊」の、二つの異なる部隊を持つべきだ、との提案です。
 

■デービッド・コール氏のコメント 「トヨタ品質神話は回復困難」

 アメリカの自動車研究の重鎮らしいコール氏は、トヨタの品質問題、という次元を超えて、より本質的な課題を提議しています。

 トヨタの品質神話が崩れることによって、多くの消費者は「トヨタ以外のクルマも結構品質がいい」ということに気づくことになる。
 今まで人々は、「家族の安全が大切だし、投資したクルマは長持ちして欲しい」と思うから、高品質のクルマにこだわってきた。しかし、どのメーカーが売るクルマも品質に大差がなくなくなったとしたらどうなるか。高品質は当然であり、売り文句にならなくなる。
 短期的には、現代自動車などが、トヨタからシェアを奪うだろうが、長期的にはどうなるのかはわからない。「品質勝負の時代」を突き抜けた後に、何をもって製品や差別化を図るのか、その答えを見つけたメーカーが次の勝者になる。



 
 これは恐らく自動車業界の人たちが一番恐れていることではないでしょうか?
 つまり自動車のコモディティー化です。
 電気自動車が一般化することによって、自動車は家電化し、パソコンのようなモジュール商品になっていくことはよく指摘されています。今まで自動車は、ひたすら付加価値を追求し、複雑化を極めてきたわけですが、どこのメーカーの車でも大差ない、とみなされた瞬間、品質へのこだわりはお金にならなくなってしまいます。
 本来、アメリカ市場におけるモノの価値は、その機能によって、シンプルかつ合理的に決まることが多く、感性や意味的価値はさほど重視されないことが多いと思います。それであるにもかかわらず、なぜか自動車に関しては、その機能的な価値以上に、品質に対する価値が認められていたのではないでしょうか。
 今回トヨタの「神話」が崩れることによって、今まで上乗せされていた神話に対する付加価値が霧散していくことになります。他の商品の例から考えると、恐らくそれはアメリカ市場から起きる可能性が高いと思われます。
 一方で、新興国においては、既存のマーケットとは、まったく異なる品質レベルを求めている人々(つまり品質が低くても問題を感じない人々)が、新たなクルマの購買層として出現しつつあります。そこにターゲットを絞って、とてつもなく安いクルマを作るメーカーも既に出現してきています。
 こう考えると、これからアメリカ市場で起こるであろう、品質神話の崩壊と自動車のコモディティー化、それと平行して起こる新興市場を舞台にした超低価格車マーケットの出現、この二つの流れに、一つの戦略で対抗できたメーカーが、次の時代の覇権を押えるように思えるのです。


 しかし、そこで勝負できるのは、トヨタを筆頭とする既存の自動車メーカーではないでしょう。
 複雑化へいち早く対応することを競争力の源泉としてきたトヨタにとって、まるでその反対となるシンプルなクルマづくりに挑むことは、自己を否定することになります。今まで複雑化への対応のために最適な組織・プロセスを作り上げてきた組織が、それと異なる価値観を導入しようとすると、組織は自己を見失ってバラバラになってしまう。つまりそれはトヨタではないのです。
 また、藤本氏の言うような、低価格車に挑む「ゲリラ部隊」が、複雑化への挑戦を続ける「正規軍」と一つのグループ内で並存する、ということも考えがたいと思います。

 これはまさに「イノベーションのジレンマ」への挑戦です。
 確かに、IBMのように、時代の変化に合わせて、戦略ドメインを変え、組織自体を全面的に脱皮させて成長を続けてきた企業はあります。
 しかし、トヨタの場合、現場力をベースにした「カイゼン」の積み重ねを独自の強みとしてきた、という背景から、組織・風土とも、「持続的なイノベーション」に高度にファインチューンされている可能性が大です。自らの遺伝子に合わないドラスティックな戦略面の転換などの外科手術は、心臓を止めてしまう可能性が高いと思います。
 
 果たして先の見えない世の中の変化に、トヨタはどう対応していくのでしょうか?
 私は、将来の自動車業界を席巻するのは、全く予想の困難な意外な業界から出てくる思わぬ企業ではないか、という気がしています。