映画「英国王のスピーチ」を観た

 今日は、久々に映画を見に行ってきました。先日アカデミー賞も獲っている「英国王のスピーチ The King's Speech」です。

 ドモリのため根っからスピーチの苦手な王子が、オーストラリア人の型破りな医者の指導でドモリ克服のための訓練を受ける。そのうちに王子はひょんなことで王様になってしまい、そこへあいにくドイツとの戦争も勃発、英国王として国民の力を一つにしてナチと闘うため、一世一代のスピーチを生放送でやらなければならなくなる。。。
 この設定を見ただけで、感動の名作となることが十分義務づけらているようなストーリーです。

 予想にたがわず、ハラハラドキドキ、そして感動の映画です。王室を美化したり貶めることもなく、淡々とストーリーを語っていくので、安心して映画の世界に浸ることができます。
 特に、オーストラリア人の医者(?)役の顔の長い俳優が印象的でした。


 私も中学生時代に一時期ドモっていたことがあり、不便を感じたものです。意識すれば意識するほど、最初の言葉が出てこないのです。初めの言葉さえ発音できれば、あとは普通に言葉がつながっていきます。私の場合、「タ」行に課題がありましたので、「タ」行から始まる言葉を話すときは緊張したものです。その後、いつの間にかドモリはなくなってしまい、今ではすっかりカツゼツ良くしゃべっているのですが、ドモリとは完全に精神的なものだと思います。
 この映画でも、「P」の発音に苦労していたり、初めの言葉が出てこずに苦しんでいたりするのを見ると、自分のことのようにハラハラさせられました。




 また、この映画を見て感じたのは、今の時代と比べ当時は「スピーチ」が非常に重要な役割を果たしていた、と言うことです。

 映画の中で主人公と対比して出てくるヒトラーは、言うまでもなくその情熱的なスピーチで人を動かしました。
 同じくこの映画で登場するチャーチルも、そのスピーチで有名で、いまだに演説のCDが、UKの音楽ヒットチャートに入るほどです。
 また、ドイツの侵攻でフランスからイギリスに亡命したドゴールが、BBCで自国民にレジスタンスを呼びかけたスピーチも、歴史上大きな役割を果たしています。

 政治家や指導者にはスピーチが重要であることは言うまでもありませんが、当時とくらべ今では、コミュニケーションのメディアとしてのスピーチの比重がずいぶんと下がっているように感じます。
 直接話す以外には、生放送のラジオくらいしかなかった当時と比べ、コミュニケーションの手段と機会が圧倒的に増えたことによるのでしょうか。
 マスコミの発達により、スクープや、ワイドショーのように隠れたネタを面白おかしく報道する非公式なコミュニケーションが増え、人前での公式なスピーチという表向きな発言がすっかりその権威と影響度を失ってきているようにも思えます。
 
 最近では、オバマ大統領のスピーチは有名になりましたが、ヒトラーチャーチルにくらべれば、はるかにおとなしく小粒に感じられます。それ以外では、今の時代、世界的にあまりスピーチが印象に残る政治家・指導者は頭に浮かびません。

 さらに日本では、スピーチの印象的な指導者は皆無のようです(選挙運動中の他者攻撃を除けば)。日本でも昔の映像を見ると、戦前には、政治家はみな身ぶりも激しく雄弁にスピーチをしていました。60年代の学生運動の時代にも、そのデキはともかく、スピーチは盛んだったようです。
 その後、どこかで断絶がおきています。それは、世の中が成熟したことによるものなのか、メディアの多様化によるものなのか、話言葉というものの役割低下によるものなのか、あるいは単なる流行なのか。その根本理由は何なのでしょうか。