欧州人にとっての遠まわしな表現は?

 昨日に続いて、独断的文化論ネタをひとつ。

 物事を断るときなどに、あいまいな表現を使うのは日本人の性だと思います。それでは欧州人は物事をあいまいにせず、いつも直接的に表現するのでしょうか? それもまた違うようです。
 欧州人も、いつも白黒をはっきり表現しているわけではないですし、TPOによっては、遠まわしな表現もよくしています。ただ表現のアプローチが異なるようです。

 日本人が、物事を断るときによく使う表現のイメージは、
「その要望は非常に実現困難である。とはいうものの、貴殿の要望はよくわかるので、再度可能性を当たってみる。しかし、非常に困難であることを理解して頂きたい」とのようなパターンでしょうか。
 あくまで「相手の要望の可否」そのものに対して、その是非を、あいまいに表現するわけです。
 これを "Understand”や"We will study"などといった誤解を招きがちな言葉を多用しながら表現しますので、欧州人からすると、やるやる、と言いながらまるで何も検討してくれない、という印象を持たれてしまうようです。私はいつもこれで失敗しています。

 一方、欧州人によく見られるのが、課題を一般論にすりかえて婉曲的に表現するパターン。
 例えば、
「過去の実績を見る限り、我々が取り組むべき課題がどれであるかは、おのずから明らかになるだろう」。
 
 日本人はこれを聞いても、断られているのか、何を言いたいのかよくわからず、もう一度同じ要望を一から繰り返したりします。
 日本人からすると、具体的な検討をしているときに、一般論を持ち出されるのは、当事者から他人事を言われているようで、「真剣に考えていない」という印象があり、不快感を感じてしまいます。

 課題そのものをあいまいに断るのか、あるいは、課題をあいまいな一般論にすりかえて、それを明確に断るのか。

 結局両方とも「やりたくない」といっているわけなのですが、アプローチが異なるため、双方にとって、断っているのか、やる気があるのか、互いにわからないということになるわけです。

 これに限らず、中国や韓国の人と接するときとくらべて、欧州の人のアプローチはいろいろな面で大きく違うな、と言うのが、私の印象。
 日々のやりとりでは不快になることも多いのですが、その背景にあるものを解きほぐして、一般化して把握できれば、無用な誤解や軋轢も避けられるのだろうな、と思っている今日この頃です。

(以上はあくまで、n数の少ない、限られた体験からの個人的見解ですので、その点ご了承ください)