「『見えない資産』の大国・日本」 大塚文雄、R・モース、日下公人著

 3週間ほど前に、大阪のジュンク堂で新刊として並んでいるのを見て、面白そうなので買って来ました。夜、家に帰ったあとに少しずつ読んでいたので、先に進んだり戻ったりでずいぶん時間がかかったのですが、一気に読めば、3時間程度で読めそうな本です。
 大塚氏、モース氏、日下氏 3人の対談に、日下氏がコメントをつけてとりまとめています。大塚氏は、ソニーで長年国内外の仕事をされたあと、コンサルタントをされている方だそうです。

 この本で提言されているのは、「アメリカ型経営」に対する「日本型経営」を考えるにおいて、貸借対照表に載る目に見える資産だけでなく、「インタンジブルス」(無形のもの、数値で測れないもの)が重要であるということです。
 ここでいう「インタンジブルス」とは、既に貸借対照表に載っている特許権のれん代などの無形資産(こちらが、普通英語ではIntangiblesと呼ばれるはずですが)ではなく、企業理念、企業の文化、業務慣行、ノウハウなどの簿外の資産のことを言っています。

 日本人にとって、企業に「インタンジブルス」があることは言うまでも無く常識であり、あまりに豊富にあるがために、値打ちのあるものだとは思われてこなかった。世界中を見渡しても、日本人が優れているものづくりの世界では、この「インタンジブル」が優位性の大きな要素でありながら、価値や資産として認識されてこなかった。これを強みとして使っていかない手はない。
 そのためには、日々の仕事を「見える化」することが重要。パソコンの普及した現代、きわめてローコストな方法で、社内に分散し潜んでいる「インタンジブル」を「見える化」するうことが可能。中小企業が支えてきた日本のものづくるが再び国際社会で強さを発揮する鍵はここにある。

 

 さらに、大塚氏は、産業の進化を、以下のような大きな歴史的な視点で見ています。

○18−19世紀 第一次産業革命 英国型大量生産方式
    手作業⇒「機械化」へ。

○19−20世紀 第二次産業革命 米国型大量生産方式
    「機械化」+「標準化」による大量生産・大量消費ビジネスモデル。
    主な商品は、生活利便性を高める消費財

○20−21世紀  第三次産業革命 
    デジタルIT化とインタンジブルスの「見える化
    主な商品は、生活環境を良くする耐久財。

 第二次産業革命における成功パターンは、規模の経済であり、標準化された商品(中級品)を大量に生産することでした。しかし、現代では消費者が豊かになり目が肥えてきたことによって、多品種少量生産への対応が必要になってきています。さらに目の肥えた消費者に対応するには、品質の向上が必要ですが、標準化のものづくりでは、品質は現状維持がベストであり、そこから上がることはありえません。加えて、情報化によって、消費者は世界を見渡して最安値を知ることができるようになってきます。こうした変化に、製造業がどう対応していけばよいのか、どのようにビジネスモデルを再構築していけばよいのか。そのための答えが、ITを活用したインタンジブルスの見える化にある、ということなのです。

 日本人として、日本企業で仕事をしていれば、企業内には、貸借対照表に計上されない無形資産がいくつもあり、それらが重要な役割を果たしているということは、言わずもがなの常識でしょう。例えば、同じような取り組みを行っても、成功する企業、うまくいかない企業があり、そこには、企業・組織の体質や「風土」といったものが大きな影響を及ぼしています。
 一方で、欧米で進化した経営の考えでは、こうした形の無い概念は無視されてしまっています。日本人にとって、言わずもがなで常識であることが、欧米のビジネスの世界では、非常識であり、その存在すら認識されていない。
 そこをあらためて「見えない資産=インタンジブルス」というキーワードを用いて指摘しているということで、この本は非常に面白いポイントを提示していると思います。


 今まで、経営戦略において、叫ばれていたのは、業務の「標準化」でした。標準化により、経営状態が「見える化」され、すばやい経営判断が可能になると同時に、現場でのオペレーションがシンプルとなり、グローバルでの展開もスムーズになるということです。
以前このブログで紹介したアクセンチュアの西村裕二氏は、標準化によるメリットを日本企業の状況を踏まえながら、わかりやすく説明しています。
http://d.hatena.ne.jp/santosh/20091213/1260720338

 同じ「見える化」でも、大塚氏の言う「見える化」は、ノウハウや情報の見える化であり、それらを活用するのは、現場の社員です。社員が、それを活用して、カイゼンを繰り返し、そのノウハウがさらに、他の社員に共有・横展開されていく。これは、経営層がひとつひとつ現場に指示をするのではなく、現場レベルが自律して考え、判断し、動くことが前提になっています。これは日本型の「現場中心・カイゼン志向経営モデル」と言えましょう。

 これに対する欧米型のスタイルは、「経営層中心・標準化志向経営モデル」と言えます。経営層がすばやい経営判断を行うために、業務を標準化し、経営数値がすばやく経営者のコックピットに「見える化」されるようにする。一方、従業員は標準化された業務をマニュアルに従って、ひたすら遂行する。そこには、考える人、働く人の明確な分業があります。

 よって、同じ「見える化」と言う言葉を使っても、実は正反対のことを言っていることを注意する必要があります。


 ここで、この本を読んで疑問に感じた点を2点挙げます。

1.日本企業における「見えない資産」は、日本の文化に根ざしているがゆえの限界

 大塚氏も、日本の社会の独自性として、法律や警察などの「文明」でのコントロールの前に、「文化」におけるコントロールが働いている、と述べています。
 他の国と大きく異なる「日本の文化」という独自性が、日本企業が、インタンジブルスを生み出す源泉になっているのであれば、日本企業がインタンジブルを活用するビジネスモデルは、日本文化とは切り離して考えることができないのではないかと思われます。
 米国型「標準化」モデルが、20世紀に全世界に広がったのは、それ自体に特定の文化の色を持っていない、きわめて文明的な、無国籍で、味もそっけもない、合理的で冷酷無比なものだったからです。
 日本企業が成長するには、グローバルに活動をしなければならないことは言うまでもありません。しかし、そのビジネスモデルの強みが、特殊な日本文化と不可分なものであるならば、どうやって、それをグローバル展開すればよいのか。どうやってその仕組みに違う文化を持つ外国人をはめこんでいけるのか。
 これは、日本企業で、グローバルにビジネスを行おうとしている人であれば、誰でもが日々直面している問題のはずです。

 この点について、大塚氏は、アイルランドなどでのご自身の経験を踏まえて、情報共有や評価制度などの仕組みによって、日本の文化を共有しない人を対象にしても、この日本的なやり方の強みを発揮することは可能である、と考えられているように見えます。
 ですが、日下氏の発言からは、見えない資産による強みは日本人特有のものであり、日本だけで活用できるものである、という思いがあふれています。この点で、日下氏の発言は矛盾をはらんでいると言えましょう。

 この本の全体を通して、大塚氏の発言と、日下氏の発言は噛み合っていない様に思えます。私には、大塚氏の発言は、一言一言が納得がいくもので、ご自身の豊富な経験を踏まえた、バランスのとれたものであるように感じられます。
 一方で、日下氏の発言は、つねに自分の持論に話を持ち込もうとしているように思えます。各章の最後にある日下氏によるまとめの文章と、大塚氏の発言の趣旨が、違う方向を向いていると思える箇所もあります。
 また、大塚氏が、あくまで経験を踏まえながら、一歩一歩ロジックを積み上げた発言をしているのに対し、日下氏の発言は感情的で、牽強付会な印象も受けます。
 日下氏の発言を見る限り、この方は、高度成長期に右肩上がりに乗せられて、問題の本質を見なくてもすむような大雑把なビジネスをした経験はあっても、昨今の、市場が年々シュリンクし、物事の本質を突き詰めなければ弾き飛ばされてしまうような厳しい状態でのビジネスをされた経験はないのではないかと推測します。(あくまで私がそう感じたということですが)


2.ヨーロッパという視点の欠落

 日下氏が事例として出しているのは、ほとんどが、アメリカの事例です。ですが、日本とアメリカという極端な事例によって、グローバルなビジネスを語るには無理があります。例えば、アメリカとの比較によって、日本にはものづくりに対するこだわりがある、というニュアンスの発言をされていますが、ヨーロッパはどうなのでしょうか?切り口・視点は異なりますが、ドイツの工業製品は、ものづくりのこだわりを具現化しています。確かに日本人の視点から見ると、ドイツ製の製品は大味で細かい気配りが欠けているように感じます。ですが、それは価値観の違いであり、評価するポイントが違うからです。ドイツ人から見ると、日本の製品はチープなおもちゃのようなものづくりだと評されています。
 少なくとも、ヨーロッパの視点を入れなければ、日本の相対的な強みが何なのか、は適切に評価できないと思います。

 
 日本には実力があるのだから悲観するな、といと語る本は読んでスカッとしますので、それはそれでよいとは思うのですが、それではどうしたらいいの?という点では、残念ながら具体的な答えまでは提示されていません。
 どうしたらできるのかの答えを提示せず、ただ安易に「日本はスゴイ」と人々をあおるのは無責任だとも思います。
 今度は、日下氏のようなプロパガンダ的な発言ではなく、大塚氏から、より具体的で現実的な処方箋のアイデアを提示していただけることを期待したいものです。