日本の「戦争責任」について考える

 毎年、この時期になると、テレビでも戦争に関する番組が多くなり、自然と戦争について考えることが多くなります。ですが、夏休みが終わって仕事が始まれば、仕事に追われて、そんなことはすべて頭から飛んでしまうのが常です。そこで、今年は、昨日に引き続き、このテーマについてもう少し考えてみたいと思います。

 昨日書いたのは、他国との間にネックになっている歴史問題の解決のためには、まず日本国内で、先の大戦に対する見解をとりまとめることが先決だ、ということでした。
 これはあくあまで「プロセス」論でしたので、次に、それではいったいどうのような考え方を日本の統一見解にすべきか、という「コンテンツ」について考えてみたいと思います。


 戦争の総括において、まず必要なのは、戦争をいくつかのパートに分けて考えることだと思います。
 一つは、英・米・仏・蘭・ソ連等、欧米諸国との戦争、二つ目は、中国との戦争です。戦争責任を云々する場合、この2つは、本来別々に考えねばならないものであり、これをごちゃまぜにすることによって、議論がかみあわなくなる事例をたびたび目にします。
 これ以外に、直接の戦争対象ではないもののややこしいのが韓国の扱いです。


まず、英・米・仏・蘭等欧米諸国との戦争。

 この戦争は、世界の覇権をめぐる戦いであり、どちらかが侵略した、しない、とかいう次元の問題ではないと思います。この戦争において日本は、東アジア・西太平洋地域における日本の利権(覇権)を守るために、英・米とガチンコ勝負をしたわけです。

 勝負をしなければならなかった原因には、大局的には、欧米先進国と日本との間に、覇権争いのルールに対する感覚のギャップがあったと思います。日本は明治維新後、19世紀の荒々しい帝国主義を身をもって学び、その世界に自らを高く位置づけようと努力してきた。しかし、日本がやっと第一次大戦後、「5大国」などと言われるようになった時には、世界の雰囲気はすでに変化していた。国をあげての総力戦となった第一次世界大戦での、あまりに大きな損害の事実を目にして、欧米の先進国は、荒々しく自己主張する帝国主義の時代から、戦争を避けるため国際協調を求める新たな時代に入っていた。しかし、一方の日本はやっと大国として認められ、これから帝国主義の権力を存分にふるおうとしていた。そこに、感覚のズレが生じていたと思います。ちなみに、今まさにこれと同じような状況が、台頭する中国と国際社会との間においても起こっています。

 このように、日本が国際社会において時代遅れの感覚で行動したために、他国からよってたかってつぶされた、というような背景はあるにせよ、戦争の直接的なきっかけは、資源を止められ、「ハルノート」をつきつけられた日本が、今まで築き上げてきた「一流国」としての立場を維持するためだったのであり、日本から見れば自衛のための戦争というファクターは大きいと思います。

 この戦争は、国益のぶつかりあいによるものであり、本来、戦争責任について、どちらかがどちらかを裁けるものではないと思います。
しかし、連合国は、極東軍事裁判において、「平和に対する罪」という詭弁のような論理で、無理やり「A級戦犯」14名に戦争を起こした責任を押し付けました。日本も、天皇に責任が及ぶのを防ぐため、このストーリーに便乗し、彼らに罪を負わせて、その場をしのいだのでした。
 日本は、この極東軍事裁判の判決を認めることによって、連合国との間でサンフランシスコ講和条約を結ぶことができ、国際社会に復帰します。

 よって、欧米諸国との戦争については、実際には、帝国主義のぶつかりあい、あるいは自衛戦争といった背景があろうとも、公式には、極東軍事裁判での戦犯とされた各個人に戦争責任があるということで、戦争責任についてはすでにカタがついており、状況は非常にシンプルです。

 ただし、この裁判のストーリーは事実誤認、子供だましの茶番であり、日本人なら誰もがそれを知っているがために、問題がややこしくなっています。公式には、軍事裁判の判決を認めているにもかかわらず、日本国内の常識においては、彼ら個人に戦争の責任があるとは考えていません。それ以前に、多くの日本人は、戦争に勝ったからと言って、負けた側の戦争責任を一方的に裁けるようなものではないと考えています。

 以上を踏まえると、欧米連合国との戦争についての、戦争責任についての見解は、以下の2つのオプションが考えられると思います。

1.極東軍事裁判の判決という現状の公式見解をそのまま引き継ぐ。
 この場合、あくまで公式見解をぶらさず、戦争の責任は、平和に対する罪をおかした14名のA級戦犯にあるとし、彼らを靖国神社に祀って、首相があえてそれを参拝するような、よその国からは理解不能なことはしない。

2.極東軍事裁判の判決に異議をとなえ、本来あるべき、客観的な、先の大戦への見解を表明、他国にも理解を求める。

 これは極めて難しく時間がかかることだと思われますが、すでに戦後65年、西側社会の一員としてアメリカとの関係を維持し、信頼感が育成されてきているとすれば、決して不可能ではないでしょう。連合国の理解を得られなくとも、日本の見解を発信していくことは、できるはずです。


 大局的には以上なのですが、ここでまだ気になる疑問は、たとえ当時の日本と国際社会の感覚にズレがあったとしても、なぜ、アメリカの間で、戦争をしなければならないほどの深刻な摩擦が生じえたのかです。最終的に戦争への引き金を引いたのは、アメリカによる「ハルノート」であったにせよ、それに至る経緯の中で、アメリカを戦争やむなし、とまで追いこませたのは何だったのか。日本の権益を拡大するにしても、もっとうまいやり方があったのではないか。ここまで関係をこじらせた責任はどこかにあるのではないか?
ここには、後で述べる中国に対する戦争責任でハイライトされる要素が出てきます。


■もう一つの戦いは、大陸における中国との戦争です。

 大陸における戦争の発端は、もともとロシアという脅威への対応がスタートのはずです。ロシアという強国に対する防衛上の必要性上、日本へ伸びる匕首である朝鮮半島からロシアを排除するすることからスタートし、それが大陸におけるロシアとの覇権争いへと進展し、日露戦争後は、緩衝地帯としての満州国を建国するに及んで、いったんロシアの脅威への手は打たれていたはずです。

 しかし、日本は、なぜかそこからさらに中国に侵攻していく。それも、華北における満州国境地帯安定のための紛争や、租界地区での欧米諸国との権益争いならわかりますが、わざわざ大した敵軍もいない中国の奥深くまで侵攻していく。当時は国民党政府においても、日本がなぜわざわざ中国に侵攻してくるのか、その目的がわからなかったと言われています。

 こちらの戦争はどう考えても侵略でしょう。当時の中国は、東アジアに覇権をとなえようとしていたわけではありません。日本が一方的に侵略したといわれて仕方がない。

 この戦争に関する責任も、極東軍事裁判でカタがついています。
 昨今の中国による日本への非難も、基本的には、公式見解と矛盾する日本のスタンスが引き金になっていると思います。

 中国との戦争に関する、戦争責任についての日本の見解オプションは、以下の2つになると思います。

1.極東軍事裁判の判決という現状の公式見解をそのまま引き継ぐ。
 この場合、あくまで公式見解をぶらさず、戦争の責任は、平和に対する罪をおかした14名のA級戦犯にあるとし、彼らを靖国神社に祀って、首相があえてそれを参拝するような、よその国からは理解不能なことはしない。
 〜 これは、対欧米の見解と同じです。

2.極東軍事裁判の判決に異議をとなえ、本来あるべき、客観的な、先の大戦への見解を表明、中国にも理解を求める。
 対欧米とは違って、これはややこしい問題になります。中国との戦争は、双方の権益や覇権争いではなく、日本の一方的な戦略になりますので、日本におけるA級戦犯にかわる何らかの責任の所在を明らかにする必要があります。あるいは中国自身に責任があると言うストーリーをでっちあげるかですが、さすがにこれは難しいでしょう(田母神氏はこのストーリーで語っていますが、かなり牽強付会なところがあります。昨今の北朝鮮並みのあつかましさが必要になりそうです)。

 それではいったい誰に責任があるのか?それは個人なのか、あるいは組織なのか、あるいは国全体なのか?

 一番わかりやすいのは、天皇の責任とすることです。これはもっともシンプルで、A級戦犯に責任を押し付けるよりははるかに分かりやすい。確かに天皇は、戦前においては絶対的存在であり、軍隊の直接統帥権までをもち、兵士は「天皇陛下のために」戦ったのであり、すべてに責任を持っていたと言えます。しかし、日本の戦前の実情において、天皇が実際に戦争を推進していたというかと言うと、それは違うでしょう。

 それでは、責任は軍部にあるのか?
 戦前の軍部は、シビリアンコントロールの状況ではなく、さまざまな形で政府に圧力をかけ、さらに若手は非合法ながらクーデターまでを繰り返し、武力による圧力で国の方針を左右してきたことは確かです。しかし、まがりなりにも民主主義国家だった日本において、軍部の力だけで国がコントロールされていたのか、というとそれも理解しにくいでしょう。軍部といえども、圧倒的な国民の支持がなければ、動けなかったはずです。むしろ、一般大衆、そしてそれをあおったマスコミ、によって、軍部が後ろを押された形で、ずるずると日本が戦争にはまっていったのではないでしょうか。

 そうなると、戦争の責任は、個人や組織を特定できるものではなく、日本全体の雰囲気のようなものになってきます。私は、結局、問題はここにあると思います。ドイツの場合、たとえ国民の大部分が支持していようとも、ナチスという明確な組織があり、そこにはヒトラーなどの明確な責任者がおり、それに責任を押し付けてしまえばよかった。しかし、日本においては、場の雰囲気のようなもので物事が決まっていっていたため、誰かに責任を特定することができない。
 
 これは、日本の特有の文化に根差していることです。ゆえに、他国には理解されにくいのです。戦争責任というものに取り組んでいこうとすると、結局この「文化の違い」という、よその国の人には非常に理解させにくい問題にぶち当たることになります。
 上で述べた2のオプションに挑むならば、日本文化に深く根ざしている戦争責任の実情を、日本文化を共有しない人たちに説明していく、という課題に挑まなければならないのです。

 これ以外に存在する、韓国との問題については、時間切れになりましたので、別途書いていきます。