「歴史と外交 靖国・アジア・東京裁判」 東郷和彦著

 8月になると、テレビに戦争関連の番組が多くなります。先日、近所の本屋に行ったら、本屋でも戦争モノコーナーができていて、普段目につかない本が平積みされていました。数冊買い込んできたうちの一冊がこの本です。

 著者は、外務大臣を2度務め、極東軍事裁判で戦犯となった東郷茂徳氏の孫にあたります。長年外務省に務め、ロシアが専門、佐藤優氏の本にも登場していました。外務省をごたごたで退職したあと、日本に帰れない事情もあったため、オランダ、アメリカ、台湾、韓国の大学で6年間教鞭をとっていたそうです。外務省時代の経験に、6年間の海外滞在で客観的に考えたことをプラスし、歴史問題について著者の思うことをまとめられたのがこの本です。
 「靖国神社」「慰安婦問題」「日韓関係」「台湾独立」「原爆投下の責任」「東京裁判」といった日本の抱える主要な歴史問題について、思うところを語っています。


 著者の歴史問題に対する基本スタンスは、基本的に私が考えてきたことと同じです。
 http://d.hatena.ne.jp/santosh/20100801/1280682103

 他国との関係上、ノドの骨のようにひっかかっているこうした歴史上の問題は、国際問題と言うより、まず国内問題です。他国とやりとりをする以前に、まず日本国内で、「戦争責任」というあいまいになったままのテーマについて、オールジャパンとしての見解をまとめることが先決。それなしに、他国との調和を目指しても日本としての基本スタンスがぶれる以上、話にもならない、ということです。
 私があれこれ考えてきたことは、独りよがりではなかったのだと思いました。
 

 先日、管首相が、韓国にあらためて「お詫び」の発言をしたそうですが、歴史問題に対する国内のスタンスがばらばらな状態で、こうした断片的な発言を行うことは、様々な事情でやむをえないとしても、非常にリスキーだと思います。国内では政治的な攻撃対象となりますし、国外では、反対に日本に対する要求がどこまでもエスカレートしていくはずです。日本のスタンスがふにゃふにゃしているわけですから、どこまでも要求可能なのです。


 「どうして我が国は、一連の歴史問題に、日本人としての答えを出し、みずから納得できるメッセージを世界に発出し、世界との調和をつくりだし、日本人の優れた能力とエネルギーを、さらに、創造的な問題につくっていけないのだろう」 
 これは、海外の人たちと、直接接して、さまざまな話をすることが比較的多かった私にとっては、身につまされて感じていることです。


 「わが民族の歴史に対する関心を見ていると、そこに猛烈な内部対立があり、巨大なエネルギーが、その内部対立に割かれていることを感じざるを得ない。 
 歴史と民族のアイデンティティに関する我が国内の議論は、相互尊重にもとづく対話というよりも、人格攻撃を含む、猛烈な相互攻撃の渦のように感ぜられるのである。とくに、最近の出版の中には、右からの左に対する猛烈な批判の書があふれているように思われてならない」
  
 日本国内における歴史問題に対する見方・考え方は、多岐にわたっており、特に昨今は、戦後の理想主義的な左寄り思想に変わり、これまたわかりやすく単純な右寄りの発言が、急速に人気を博し、勢力を増してきています。しかし、こうしたわかりやすい発言は、現場ベースではなく、頭の中だけの観念的であったり、他国の実情を知らず、日本の中でしか理解されないストーリーにもとづいているものが多いように感じます。基本的に韓国や中国において、観念的なナショナリズム発言が多いのと、同じ部類です。


 「異なった意見をもつ相手を尊敬しながら議論を展開する力を身につけ、人格的相互攻撃で空費されるエネルギーを抑制すること、そして、民族エネルギーを、日本社会の力と日本人の創造性を開花させる積極的な方向に向けること − 意思と、指導力があれば、それは実現できるはずである。
 一人ひとりの日本人が、そういう認識を強めることが、オール・ジャパンとしての共通なメッセージとなり、それが世界全体に受け容れられるものになっていく。遠回りのようでも、そういう道筋を目指すことが、この問題を乗り越えていく、王道だと思う」

 と、著者は楽観的に締めくくっています。しかし、これは、あまりに難しく、気が遠くなるほど時間がかかりそうです。
 実際、この本の中でも、オールジャパンとしての共通見解をつくるための、叩き案を示せているかと言うと、その方向性は出せていません。唯一、「慰安婦問題」についてのみ、著者の解決案が明快に示されていますが、「靖国問題」「原爆責任」「東京裁判」などについては、さまざまな課題が示され、エッセイのように著者の感想が書かれているだけです。この本を読んだ多くの人は、あーでもないこーでもないと言っているが、結局何を言っているかわからないな、という印象を持たれる可能性が大です。
 一方で、「右寄り」あるいは「左寄り」の本は、主張がシンプルかつ明快でわかりやすいので、考え方があまりに乱暴であるにもかかわらず、多くの賛同者を集めがちです。


 昨今、世の中が急激に右傾化している中、こういったバランスのよい意見を読むと、ほっとします。課題は、正論であればあるほど、あるいは、事実や異なる意見の存在を踏まえた上でバランスをとろうとすればするほど、一般の受けがよくなくなる、というジレンマなのです。