「私はなぜ『中国』を捨てたのか」 石平著

 やっと1週間の仕事が終わりました。今週も問題続出で、疲弊しまくった1週間でしたが、土日はいちおう休み。これからはやっと自分の時間です。

 石平氏は、たかじんの番組などで、TVに出ているのを見かけたことはありましたが、中国生まれなのになぜか日本の良いことばかり言っている人、ということで、何か胡散臭い人、という印象を持っていました。
 正直、石平氏自身にはあまり興味もなかったのですが、この本がジュンク堂に行くとやけに積極的にプロモーションされていたので、まあ何を言っているのか見てみようか、と買ってきたものです。

 読んでみると、石平氏の言われていることは、基本的によく理解ができますし、成程もっともと思われる内容です。なぜ、氏が、中国出身でありながら、中国を批判し日本を礼讃する立場に立つようになったのか、という必然性が腑に落ちてきます。


 石平氏は、文革時代に、毛沢東思想教育を受け、「毛沢東の忠実な小戦士」だった少年時代を過ごしました。
 文革が終わり訒小平氏の改革開放路線が進んだ80年代に大学生となると、毛沢東文革時代に自らの権力を維持するために行ったさまざまな悪行の真実を知ることになり、今まで純粋に信じてきたことや、自らが作り上げてきた世界観が崩壊するという、大きな衝撃を経験することになります。
 やがて、その衝撃から立ち直ると、氏は同じような仲間たちと、民主化運動に邁進することになります。毛沢東のような暴君を生み出し、人民を生き地獄に追いやった原因は、共産党一党独裁体制にあり、国をよくするためには民主化が必要だと考えたためです。80年代の中国は、文革の地獄から立ち直り、「書生論」を熱く語ることができた「春」の時代だったわけです。
 やがて氏は、日本へ留学するのですが、その間に、中国では「天安門事件」が起こり、ともに夢と理想を追り、祖国への想いを語っていた同士の多くが、国によって犠牲になります。この事件をもって、氏は、共産党に完全に幻滅し、期待することをやめます。毛沢東から訒小平へ変わろうと、共産党は独裁体制を維持することが目的であり、「中華人民共和国」というものはそのための手段にすぎない、ということがわかったためです。「中華人民共和国」とは、自分の国などではなく、単なる共産党の道具でしかないと考えるようになったのです。

 石平氏が書いているこうした内容を、日本で生まれ育った人が実感としてとらえることは難しいでしょう。中国のように、たかだが50年余りの間に、共産革命、文革、改革開放、天安門事件市場経済化と、世の中の価値観をすっかりひっくり返してしまう革命を、短期間の間に繰り返してきた国はないと思います。そこで生きている人々は、自分の人生の中で、何度も世の中がひっくり返る自体を経験してきたのです。日本でも、明治維新、敗戦、という大きな2度の価値観の転換期がありますが、中国ほど頻度は多くありません。中国は、こうしたたび重なる価値観の否定を繰り返した結果、今では伝統的に継承してきた精神的・文化的な遺産を喪失し、物質的な拝金主義という、いわば人間の本能だけが残った国になってしまっています。石平氏も、生身の人間でありながら、この乱暴な渦のはざまに巻き込まれて生きてきたわけなのです。


 また、氏は、中国の反日について書いています。
 共産党政権は天安門事件の後、国民の不満をそらし、共産党政権を維持する正当性をつくるため、外に対して共通の敵をつくる必要があり、それが日本だった、としています。つまり、日本などの外の敵に対抗するために、安定して強い国をつくる必要がある、というストーリーで、国内の民主化への動きを封じ込めようとしたわけです。この愛国主義高揚運動を進めるために、「日本」は知らない間に悪の象徴として位置づけられ、そうした教育が刷り込まれてしまっているのです。

 私は、91年に会社から派遣された研修生として、1年間上海の復旦大学に留学したことがあるのですが、当時の中国は「反日」などほとんどなかったと言えます。当時の中国は、まだあらゆる面で非常に遅れた状態であることは誰もがよくわかっており、改革開放路線の中で外国のものを素直に学ぼうという姿勢が非常に強く、国を捨てる人はたくさんいても、ナショナリズムなど殆んど存在していませんでした。「愛国攘夷」というより、極端な「崇洋媚外」でした。それがたかが20年あまりに間に180度変わってしまったようです。とは言っても人間の基本的な考えまでは変わらないでしょうから、ある程度以上の年齢の人は、内心みな「崇洋媚外」だとは思うのですが、天安門事件以降に育った若い世代はすっかり洗脳されているのかも知れません。
 昔の中国を知っている私からすると、最近の中国の「反日」の状況は非常に違和感があります。しかも、その間に、当事者である日本自体は特に何も変わっていないのですから(日本が反中的活動で中国を挑発しているのなら別ですが)、明らかにその背景には、中国政府の強力な力が働いているのは確かです。
 その目的として、「外に敵をつくって、一党独裁政権の正当性を維持する」というのも、さもありなんです。しかし、そのために、利用される日本はたまりません。しかも、それは、後々まで日中間に無用な軋轢を残すことになり、中国の人々にとっても得になることはないでしょう。


 こうしてみると、中国はすでに、経済面だけでなくイデオロギー的にも、すっかり共産主義社会主義を脱してしまったようです。
 左寄りの思想と言うのは、人民が中心となり、権力・支配階級に対抗する、そのために国と国の垣根を超えインターナショナルに連帯する、というものだと思います。80年代までの中国はその思想を持っていました。中国の日本の戦争責任に対する考え方も、軍部が戦争を起こし、日本の人民もその被害者である、というものでした。いわば、「上(支配者)VS下(人民)」というタテの構図の考え方だと思います。
 それに対して、愛国主義民族主義的な考えは、「自分の国 VS 人の国」という左右・ヨコの構図になります。よその国と言う、ヨコにある外敵に対して対抗するときには、支配者と人民は同じ立場に立つことになります。戦前の日本の状況はこれです。軍人や支配者層だけでなく、無知な貧しい庶民層も、「鬼畜米英」と闘うべし、という考えをすりこまれ、無謀な闘いに投入され犬死にしていったのです。
 今の中国は、すでに社会主義ではなく、戦前の日本と同様の民族主義国家になってしまったようです。そこには、インターナショナルな世界の人民の連帯などという高尚な書生論はなく、自分達が良ければ他の国など滅びればよい、という人間の本能的な生の姿しかありません。これは、大きな視点で見れば、世界の歴史、あるいは人類の進歩に逆行しているように思えます。
 また、こうした国内の過激なナショナリズムは、外交面において、国内を意識して外国に対し強気の対応をとらざるを得ない状況を作り出しており、共産党政権にとっては、外交面で取りうる手段を狭めている結果になっています。
 天安門事件以後の共産党政権にとっては、これが政権を維持するための唯一の道であったとはせよ、その負の遺産には計り知れないものがあることでしょう。