「教えて!カンヌ国際広告祭」 佐藤達郎著 〜 Cadbury Dairy Mik Chocolateの広告

 広告のように、人の心の奥深いところでの共感が必要で、しかもその善し悪しの結果が厳しく数字で表されてしまうものは、国や文化、あるいは時代の感覚による違いが、端的に表れてくるものだと思います。
 私は、10数年間、海外でのマーケティングにまつわる仕事をしてきましたが、海外の広告を日本のものとくらべると、そのテーマやアプローチ、トーン&マナーで多くの違いを感じます。どちらかと言えば、世界においては、日本の広告が特殊だと感じることが多いです。広告も、携帯電話や家電と同様、日本において、ガラパゴス的な進化を遂げてきた業界だと思います。
 日本の広告は、日本と言う閉じた社会において、コンテキストオリエンテッド、つまり共通の文化や価値観、知識や話題、或いは雰囲気をみなが共有している、という前提に立ってつくられているものが多いと感じます。よって、それらを海外に持って行って字幕をつけて、その意味を説明しても、なかなかその意味が狙い通りには伝われないものが多いのではないかと思います。

 
 先週、本屋でこの本を見つけ、そうした日本と海外における広告のアプローチの違いとその評価について、面白い内容があるかなと思い、読んでみました。
 この本は、「カンヌ国際広告祭」というイベント自体にまつわることも紹介していはいるのですが、むしろその主題は、カンヌ国際広告祭での事例を切り口に、昨今のマーケティング・広告の進化について、わかりやすく説明していることです。この本を読んで、あらためてそういうことだったか、と感じた内容もありますので、ここに整理しておこうと思います。


■「シンプル」さは良いことなのか?
 日本の広告は、メッセージが盛り込まれていてごちゃごちゃしており、海外の広告はシンプルですっきりしている、というのが、一般の認識。しかし、これもそう「シンプル」ではないのです。
 日本では、シンプルさを語るときに、「メッセージがシンプル」と「表現がシンプル」が混同されていることが多いとのこと。日本の広告では、伝えるべき商品のメッセージ自体がシンプルでない場合も多いことから(我々もクライアント側として、よくそういう商品の広告を作ってきましたが)、広告制作側としては、せめて表現だけはシンプルにしたい、ということで、結果平板な表現となってしまうことが多いようです。それに対して、広告賞をとるような海外の広告は、シンプルなメッセージに向かって、表現をとことん「こってり」と作りこんでいくものが多いようです。筆者は、これを「シンプル・メッセージ&リッチ・コンテンツの法則」と呼んでいます。


■「わかりやすい」は良いことなのか?
 我々は、広告はわかりやすいことが一番、商品メッセージを、シンプルにストレートに伝える広告が優れた広告だと考えてきました。一般に会社内でも、わかりにくい広告というは、決裁が通らない可能性が高いでしょう。ところが欧米の広告は、わざと分かりにくく作っているのだそうです。初めは、ナゾを提示して、「ナニコレ?」と思わせ、それが最後に、シンプルな商品のメッセージに落とし込まれ、「ナルホド」と思わせる。これが欧米の広告の作法だそうです。謎をかけ、謎を解く、それによって強い印象を与えようとしているのです。
 言われてみるとその通りで、欧米の広告は確かにこのパターンが多いと思います。もちろん日本にもこのパターンの広告は多くありますが、欧米ほど一般的ではないなと感じます。


■「ブランデッド・コンテンツ」という考え方
 最近の広告祭では、商品のメッセージも明確に伝えておらず、これって広告と言えるのだろうか、というような広告が増えているそうです。
 その背景には、コミュニケーションの進化により、今までとは違い、情報の発信者ではなく、受け手がブランドをコントロールするようになったという事情があります。いかにして「伝えるか」ではなく、どうすれば「受け取ってもらえるか」がポイントになっているのです。
 よって、一目で広告とわかる、発信者のメッセージが明確なものや、広告としての完成度の高いものは、むしろ敬遠されることになります。「伝える」ことよりも、楽しませて、仲間を増やす、そして関係構築することが目的ですので、当然、そのための手段も今までの、効果的に伝え説得するためのやり方からは変わってきます。
 我々は、同じビジュアルイメージやキャッチでコミュニケーションを統一しようとやっきになってきたのですが、この考えのもとでは、いかにも広告然としたONE VOICE, ONE LOOKより、コンタクトポイントに合わせて表現方法は変えていく方が良いとされるのです。
 これは、今まで我々が当たり前だと考えてきた「広告」という考え方の否定になります。筆者はこれを従来からの広告クリエイティブと区別して、「ブランデッド・コンテンツ」と表現しています。


■"BRAND WILL"という考え方 
「ブランデッド・コンテンツ」は、「どうやって語るのか」、についての考え方でしたが、商品・ブランドの「何を語るのか」についても、今まで我々が絶対的に正しいやり方だと信じてきたアプローチが通用しなくなってきているそうです。
 例えば、商品の「USP」(Unique Selling Proposition)を決めて押していく広告手法は、今の時代は、商品の機能やベネフィットで差別化することが難しくなっているため、効果が薄れています。
 また、市場でのユニークな位置づけを探していく「ポジショニング」アプローチでも、調査・分析に頼ってでは、どのブランドも同じようなポジショニングしか探せませんし、独自なポジションを探せたとしても、極めて市場が限られたニッチに陥りがちです。
 一方でコンシューマーの「インサイト」を探すにしても、もともとわかりにくい消費者の本音や心のツボを探すのがポイントなので、これを継続的に見つけ出すのは極めて難しいことです。
 よって、伝えるべきものは、化粧品ってこうあるべきだ、クルマってこうあるべきだ、という、ブランドや商品の、意志や考え方="BRAND WILL"になります。このWILLを発信し続けることによって、生活者に自分たちを見つけてもらう、そしてその志向性が合えば、購買と言うアクションにつながっていく、という考え方です。
 そのための広告の方法は、当然今までのものとは変わってくるはずであり、最近の広告賞で評価されている広告も、こうした考えを反映しているそうです。この本では、その例として、ナイキやアディダスを紹介しています。


 また、そうした例として、2008年にCF部門グランプリを受賞した、Cadbury Dairy Mik ChocolateのゴリラのCFが紹介されています。(この本の中では、"Daily”と綴られていましたが、"dairy"が正のはずです)
 フィル・コリンズの曲に合わせて、ゴリラがドラムを叩くというだけのCFで、正直なぜこのCFがそんなに評価されたのか、多くの人にはさっぱりわからなかったそうですが、かなりの話題にはなり、売上アップにも貢献したそうです、あえて、メッセージを伝えないことによって、ナニコレ?見た?という話題を喚起することに成功したのでしょう。ただ、私は映像としては、あまり面白いとは思いませんし、あえて話題にしたいとは思いません。
 


 むしろ私が面白いのと思うのは、同じCadbury Dairy Mik ChocolateのCFでも、クイーンの曲に合わせて、空港の業務用車両がレースをする、こちらのバージョンです。映像も面白いですし、とことんバカっぽいことをマジでやっているのが笑えます。

 
 YOUTUBEで探してみると、Cadbury Dairy Mik ChocolateのCFでは、下のものが最新のもののようです。よりストレートに商品のメッセージ(1杯半の牛乳を使っている)を語っていますので、私にはわかりやすいのですが、CREATIVE MAGAZINE誌サイトでのコメントを見ていると、昔の当たり前の宣伝に戻ってしまったというネガティブなコメントが多く見られます。


 このように最近の広告を見ていると、発信者主体・商品訴求主体だった時代とは、そのアプローチはずいぶんと変わってきているようです。むしろ、そんな時代にあえてこんなTCVFをやることなど意味があるのか、とも思ってしまいました。
 今日は広告を考えてみました。