「ビルマ商人の日本訪問記」 ウ・フラ著 を読む


 正月休みは、仕事とは関連のない一般教養の本を読む良い機会です。この本も近所の本屋で見つけ、正月休みに読もうと思っていた本でした。
 著書のウ・フラ氏は、1900年生まれ。ビルマの地方都市に住んで商売をしていたのですが、見聞を広めビジネスチャンスを探すため、1936年に単身日本へやってきて、2ヶ月間滞在しました。そこでの見聞録をビルマの新聞に連載したものがこの本のベースになっています。
 著者は、日本の商工会議所を窓口に、関西を中心に多くの会社を訪問し、自動織機や自転車工場から、ゴム草履工場、製縄機、製筵機などミャンマーで商売のネタになりそうなものを見てまわります。一方で、ビルマを代表して海外に出た人間として、日本人と比較しながらビルマ、そしてビルマ人人はどうあるべきかについて熱く語っています。

 著者は、日本人には長所も短所もあり、それをありのままにとらえて、ビルマ人にとって学ぶべきものは素直に学ぼう、として、以下の数点を挙げています。著者は、この日本旅行の船旅で、マレーシア、シンガポール、香港、上海にも立ち寄っていますので、こうした国々との客観的な比較がベースになっており、素直な感想として興味深いと思います。


■日本人のよい点

・清潔であること
「苦力のような仕事をする人でも手袋をはめている」
「子供達は、通学するときのカバンにチリ紙を入れている」
「家の中から出るゴミや屑を、自分と関係ないからとばかり人の通り道などへ捨てるようなこともない。日本人は利己主義者ではなく、多数の利益を考えて行動する」
 
 〜「清潔」の話から「公共の概念」の話へ展開しています。「公共」の概念がきわめて強いことは、アジアでは日本人に特徴的なものだと思いますが、戦前には今よりもより強くそれが現れていたのでしょう。


・互いに尊敬しあう
「互いに頭を下げて表敬し挨拶するが、された方は相手よりどれだけ上級者であってもまたお辞儀を返し表敬する」
「英語のプリーズにあたるドーゾという言葉で話を始める」
 
 〜これは、「尊敬」というより「礼儀」や「マナー」の問題かも知れません。


・家族のあり方
「日本では父親たる年配者が家長として一家を統率する。これによって、けじめや規律がしっかりする。一方でビルマでは、父親が老いてくると「ご老体には何も判らぬ」という言葉さえあって礼儀に欠ける」
 〜これは今ではすっかり変わってきたでしょう。

「日本では職がなけれな恥ずかしいことだと考えられている。すべての人が職についている。一方でビルマでは、一戸に5人の家族がいるとして、時としてこの家族全員が働かないでいることもあるし、働いたとしても働き盛り5人のうち、2人か3人くらいしか働きに出ていない」 


・暮らしは質素に、望みは高く

「個人個人の衣類の差があまりない。高価な衣類を着ることは少ない」
「大会社の幹部でも自家用車に乗る人が少ない」
「食事なども一般に野菜と魚程度で済ませている」
金・銀・ダイヤモンド他宝石類の装身具を身に着けるものが百人中5人を超えることはまずないほど」
「仕事に精を出して貯蓄し、貯めた金は若干利息をつけて政府に貸し付け、政府はその金を国民側の奨励すべき大小の産業に対し貸し付ける」

 〜これも他のアジアの人々とくらべたときの日本人のひとつの特徴だと思いますが、今ではそれほど差はなくなってきているように思えます。



・20歳未満の喫煙禁止、賭け事をしないこと
 ビルマでは赤ん坊さえ太巻き葉巻をプカプカやっている。
 〜これは、各国とも今では差がなくなってきているように思えます。とは言っても、先日もテレビで、インドネシアにいるチェーンスモーカーの赤ちゃんが紹介されていました。


・学校教育
 「貧富の差なく決まった制服を着なければならないので、体裁を考える必要がない」
 「下校時でもおとなしく静かに行動している」

 〜今では他の国の子供達の方が行儀がいいかも知れません。「教育」は、戦後に日本のレベルが落ち、一方で他国のレベルが上がったということで、相対的に差がなくなった分野でしょう。


・進取の精神と勇気
 服装や髪型、あるいはさまざまな技術など、有用なものはどんどん取り入れる。女性は一人でもタクシーに乗って出かける勇気がある。 
〜いつの間にか、「進取の精神」は他のアジアの国々の得意分野になってしまったようです。


■次に、日本人のいやな点

・しゃべり方
 言葉のはじめに「アノォ」「アノォ」をよく使い、言葉の終わりに「ネ」「ネ」を良く使うので、歯切れが悪く、非常に子供っぽい。ビルマ人や西洋人の大人のように明瞭に話すのが苦手のようだ。
 〜「アノォ」や「ネ」を多用するのは、日本語という言語の問題ではないかと思いますが、明瞭に堂々と話すのが苦手なのはその通りです。一般的に中国人や韓国人は学生でも、誰もが堂々と明瞭に話をしますので、日本人とのその差にはいつも驚きます。
 ポイントはそうした歯切れの悪い話し方が「子供っぽい」と評価されてしまうという概念を持っていない、あるいは子供っぽく見られることが「未熟である」とネガティブに評価されるという概念を持っていない、という日本人の価値観にあるのでしょう。


・「アリガトー」を連発しすぎ
英語の「thanks」に当たる「アリガトー」を必要以上に使いすぎる。どこへ行っても、「アリガトー」だらけ。こんなに連発されると、耳につき過ぎる。
 〜確かにその通り。


・下駄や着物
 夜に下駄を鳴らして歩くのがうるさすぎる。
 下駄の2枚の歯のために、歩きかたがへっぴり腰になる。そのために洋服を着ていても、足運びはへっぴり腰のままで、まったく不恰好である。
 男物の着物は、袖口が広く、腕を挙げると裸の腕があらわになり格好がつかない。
 女物の着物は、背中に余分なものをくっつけているが何の用途もないそうで、無駄なことをしている。

 〜歩き方が不恰好なのは今でも変わっていないようです。世界で見ても、日本人の歩きかたの不恰好さは特徴的なのですが、多くの人はそれに気づいていないようです。今でも海外で日本人を見分ける一番の方法は歩き方と姿勢だと思います。伝統的には、下駄をはいていたり、正座をするので脚が曲がっていたり、といった背景もあったでしょうが、根本的に、歩き方の姿勢に気を使う、という概念がないことが原因だと思います。


・恥ずかしさを考えない 
 男達の中には、短い下穿きの上には何もつけないまま、歩いている人がおり、腿が人目についても平気である。女性でも、短い下穿きでだらしなくしゃがんでいる者がいる。ヨーロッパの女性より行儀は悪いようだ。
 〜日本人が人前で平気で入浴したり肌を見せるというのは昔から指摘されている点ですが、最近はなくなってきたといえるでしょう。


・物足りない敬称
 ビルマ語のような相手のレベルにあわせた冠称の使い分けはなく、相手に関係なく「サン」をつける。
 〜これは誤解がありそうです。実際には、ポジションに合わせたさまざまな冠称があり、これをできるだけフラットな関係にするために「サンづけ運動」をしているくらいですので。


・ネチネチしている
 話をしていると「ソウスカー」とあいづちを打ってはいるが、相手の話を理解しようとして聞く風があまりない。ハイハイと聴いてくれるものの、結論に至ると相手はまるで判っていないということを体験した。仕事のことで話し合っていても、要点を速やかに導き出す話し方をしない。長々とネチネチとまわりくどい話し方をする。
〜特に外国人が相手だと、こういうことは今でもよく起きるように思います。



 こうやって見てみると、当時日本人の長所だと思われていた点については、他のアジアの人々と比べ、相対的に優位性を失ってきている点が多い。一方で、短所だと思われていた点については、風俗に関する項目以外はそのまま残っている点が多い、と言えるのではないでしょうか。
 一方で、ビルマは70年あまりの間にどう変わったのでしょうか?著者がしきりに嘆いていた進取の姿勢や勤勉さはプラスされているのでしょうか。

 私は10年以上前にミャンマー市場を担当し、何度か出張したほか、旅行ででも訪れていますが、当時のビジネス上の相手は、大多数が中国系かインド系の人たちでした。もちろん中国系とは言っても、ミャンマーで生まれ育った土着化した人たちで、北京語が話せるような人にはまったく出会いませんでしたが(それでもこちらの北京語は簡単な内容なら理解していました)。当時、外国と英語で商売をしている人たちには、学生出身でありながら反政府活動による学校閉鎖でやむを得ず学校を離れ、そのままビジネスに流れていった経歴をもった人が多かったです。
 ミャンマーとのビジネスは、当時から政情不安によるリスクが高く、輸入クオータや、代金回収のための木材などとのバーター取引などややこしい条件も多いため、グレーな部分を残さざるを得ず、本腰を入れて行うことが難しいものでした。その後10年以上たっても、状況は依然として変わっていないようです。
 北朝鮮と並んで、アジアに残った数少ないフロンティア市場と言えるでしょう。