「午前4時、東京で会いますか?パリ・東京往復書簡」 シャンサ×リシャール・コラス著

 もともと2007年に出版されていた本のようですが、先日、近所の本屋さんで、文庫本になって平積みされているのを見つけ、買ってきました。

 日本に長く住んでいるフランス人であるコラス氏と、フランスに長く住んでいる中国人であるシャンサ氏、という異色の取り合わせによる書簡集です。 

 リシャール・コラス氏は、シャネル日本法人の社長でありながら、小説まで書いているということで、名前を聞いたことはありました。日本好きな人なんだな、という印象でした。

 一方で、シャンサ氏については、まったくその存在を知りませんでした。北京で生まれ育った中国人でありながら、高校時代にフランスへ留学し、その後、フランス語で小説まで書いて文学賞を貰っている、という人です。最近は日本でも、外国人が、母国語でない日本語で小説を書いて、文学賞を取ることが増えてきましたが、私には、外国語で小説を書くことが出来る、ということ自体が、考えられません。外国語で「話す」ことは可能であっても、書き言葉においては、完璧に言葉を使いこなすことができない限り、どうしても違和感の残るものになってしまいます。そのためには、よほどの苦労が必要とされるでしょう。まずこれだけで、このシャンサさんという人は、並の人物では無いことがわかります。

 この書簡集の内容は、それぞれの生い立ちや、日頃考えていることなどが綴られています。両者をつなぐ接点として存在しているのは、タイトルにもあるとおり、「日本」なのですが、二人の語りは、日本という一つの接点を超え、フランス・中国・アメリカ・モロッコ・イタリアなど、様々な異なる文化をどう捉えて、どう接していくのかという、大きな視点にまで広がっています。
 私が感心したのは、異文化にずっぽりと入り込み、日頃、複眼的にものごとを見ている人だからこそ見えてくるであろう、ユニークで深い視点が、語りの中にいくつも出てくることです。しかもそれを、実に多彩な言葉を駆使して表現しています。特にシャンサ氏の文章表現はカラフルです(これには、巧みな翻訳も効いていることと思いますが)。

 かなりの分量を占める、二人の生い立ちに関するパートを見ると、コラス氏の語るエピソードは、サラリーマン家族の、ちょっとした小市民的なエピソードが中心なのに対し、シャンサ氏の語る祖父母から自分までの歴史は、まさに激動の20世紀そのものです。シャンサ氏のパートの迫力が圧倒的なため、コラス氏のパートが色あせてしまいます。

 シャンサ氏の祖父母は、知識階級出身で共産革命に身を投じ、解放後(49年以後)は、共産党の幹部となっていたのですが、文革で迫害され、祖父は拷問で殺害されます。両親は大学教授で、当然文革時代は迫害されていました。父親はフランス文学者だったので、改革開放後、フランスに派遣され、その関係でシャンサ自身もフランスへ留学することになります。


 中国の20世紀の歴史において特筆すべきことは、人々の価値観がひっくり返ってしまう「革命」をいくつも経てきた、と言うことです。

 日本においては、価値観が転換する「革命」は、明治時代と、太平洋戦争後の2回起きていると思います。特に、戦後のそれのインパクトは大きかったのではないかと思います。

 中国においては、まず辛亥革命がありました。しかし、これが一般大衆の価値観を変えたかどうかはわかりません。清朝が滅び、軍閥政治に変わっただけで、一部支配層・知識人にとっての革命であり、一般大衆レベルでは大きな変化はなかったのではないかと思います。


 一般大衆にとって、最初の大きな革命だったのは、「共産革命」です。この革命は、まず農民をメインターゲットに支持基盤を拡げ、国民全体を巻き込み、世の中全体を完全にひっくり返してしまったことから、まさに「革命」と呼ぶにふさわしい変革だったと思います。そして人民のための新中国をつくるという革命の理想に多くの知識人が引き寄せられ、ある面、青臭い理想の国づくりに燃えていたのが、50年代の中国でした。

 しかし、革命が落ち着くと、今度は政権内での権力闘争が始まり、「百花運動」や「反右派闘争」など、ライバルを蹴落とすための手段として知識人の迫害が行われるようになります。農民・労働者中心の国とは言いながらも、政治に携わる人達は、当然知識階級が主体であり、彼らの多くはある程度の教育を受けられる資本階級出身が多かったわけですから、出身成分を追求すれば、ライバルを迫害するネタには事欠かなかった訳です。


 その後、大躍進運動が失敗に終わり、毛沢東の権威が失墜すると、その巻き返しのために「文化大革命」が起こります。ここでは、毛沢東のライバルを封じ込めるために、さらに徹底した知識階級の迫害が行われます。革命の理想に燃えて、共産革命に身を投じたインテリ達の多くは、この期間に、拷問され殺害されたり、憤慨のあまり自殺したり、といった目に遭うことになりました。このような、共産革命初期の青臭い価値観を狂気によって否定した文化大革命が、第2の「革命」だったと言えるでしょう。

 毛沢東が亡くなり、4人組が失脚すると、次の革命が起こります。79年から始まった訒小平主導の「改革開放」は、今度は「金儲け革命」と呼べるでしょう。あらゆる実務が滞り硬直した社会、疲弊した経済を立て直すため、自由経済の要素を取り入れ、人々の金儲け意欲を活用することにより、国全体の経済発展を図ったのです。「白い猫でも黒い猫でも、ねずみを捕る猫は良い猫」という訒小平の発言は、象徴的です。
 そこで脚光を浴びたのは、世の中の隙間をついて、一山当てた人たちです。政府組織や企業には属さない、失うものの無いアウトロー達を中心に、個人の才覚一つの勝負で成金にのし上がる人たちが多く現れ、「企業家」として評価されるようになります。それまでは、「雷峰」に代表されるように、「労働模範」など、社会のために献身的に尽くす人物がエライとされていたのに、いきなり、今まで仕事もろくにせず遊び歩いていたヤクザまがいの連中が、金儲けしたことによって、機会をとらえた企業家として褒め称えられるようになりました。これは一般大衆にとって、大きな価値観の転換であり、3度の「革命」となりました。

 こうして、たかが30〜40年あまりの間に、世の中の価値観がひっくり返る「革命」を繰り返した結果、中国に残ったのは、拝金主義と個人主義です。昔からの伝統的な価値観や宗教が破壊され、共産革命の理想も破壊され、結局、後に残ったのは、何でもやったもん勝ち、という、人間の欲望そのままの価値感なのです。
 こうした変化は、あまりに短い期間に起き、現時点ではまだそこからあまり時間が経っていないため、まだ歴史として整理されていません。しかし、中国の老人、特に知識層においては、このようないくつもの複雑な経験を、一代の間に経験してきた人たちが多くいるのです。

 シャンサ氏のような若い世代においても、こうした父母・祖父母の時代の経験が大きく影響していることがわかります。18世紀にすでに凄惨な革命を経験し、安定した社会の中で、海の向こうの共産革命を一種の流行としてとらえていた1960年代のフランスの若者と、進行中の革命を身の回りで経験した中国の若者とでは、語られる物語の迫力が違うわけです。

 現代の中国を見るにあたっては、こうした荒々しい過去の経緯をおさえておく必要があります。
 日本のマスコミでは、中国共産党は、シンプルに否定的なトーンで評されることが多く、共産党一党独裁体制は早晩民主化されるべきだ、と、一般論的・アメリカ的な単純な視点からコメントされることが多いようです。ですが、中国の人たちが共産中国に対して持っている複雑な愛憎関係をふまえなければ、なぜ共産党政権が、いまだ大多数の国民の支持を受けているのかは理解できないことでしょう。

午前4時、東京で会いますか?―パリ・東京往復書簡

午前4時、東京で会いますか?―パリ・東京往復書簡