「防衛白書 竹島の記述で発表延期」のニュース

 日本の防衛白書が、竹島の記述に関して、韓国に配慮して発表を延期したそうです。こっちをたてればあっちがたたず、というような状況の中、民主党政権が苦し紛れで対応していることがよくわかります。
 しかしながら、竹島については、あくまで「日本の固有の領土である」というのが、日本の一貫した見解だったはずです。なぜここにおよんで、日本政府として出版する白書の内容にまで迷いが出るのか、理解に苦しみます。民主党政権においては、今後「竹島の領土問題は存在しない」という方向に、国としての見解を変えていく方針なのでしょうか?


 「交渉」においては、あくまで一貫したスタンスをとるというのは、言うまでもないことであって、スタンスがぶれると、相手にいいとこどりをされる可能性が出てきます。この数年の日本では、あまりに短命な政権が続き、国内政治が安定していなかったために、外交においても、そのふらつきによる弱みを利用され、ここまで国の立場が弱体化してきてしまったのでしょう。


 それにひきかえ韓国や中国のスタンスにはぶれがありません。

 韓国においては、国内では、「反日=善、親日=悪」という非常にシンプルかつ絶対的な価値観が存在しているので、国としてのスタンスはぶれようがありません。いつの時代の政権でも、反日的な態度を示せば、日本を懲らしめているということで、多くの国民に喜ばれますし、反対に親日的な態度を示すことは、国内での支持率低下に直結します。

 しかし、対外的には、過去にあった日韓条約や、経済協力のように、韓国にとっての実利をとるためには、日本との協調も必要になります。

 よって、韓国の政権は、外交上必要になる「必要悪としての日本との協調」と、国内政治向けの「国是としての反日」、という2極の間で、やじろべえのように左右にバランスをとっているシンプルな図式になっています。

 それに対して、日本の場合、対外的には歴史的な問題を抱えているため、「反韓」と言うスタンスをとることが許されない中で、言わば常に「手加減」をした状態で、韓国とやりとりをしていかなければなりません。空手の試合で言えば、相手は「フルコンタクト」で殴ってくるのに、こちらは「寸止め」で、勝負しているようなものです。
 一方で日本の国内を見ると、韓国の意見に協調する世論(わかりやすく言えば「左」)と、韓国に対抗する世論(「右」)の双方があり、両方に対してバランスをとることが求められます。この20年ほどで、ずいぶんと韓国協調派の声が弱体化してきているようですが、民主党はどちらかというと韓国協調派の流れを汲んでいるようです。
 いずれにせよ、日本の政権においては、韓国との外交にに関する事柄は、3極以上の複雑な図式になっており、韓国のように2極の間でシンプルにバランスをとることができないわけです。


 それでは中国はどうかと言うと、国内政治的には、日本や韓国と異なり、基本的に選挙のための人気取りの必要がありません。よって、国民によるひとつひとつの政策への評価を気にすることなく、外交においても、国益のために一貫したスタンスを継続することができます。よって、こちらはもっともシンプルです。
 もちろん中国も、いつまでも官僚組織と共産党による指導だけで国を運営していくことはできず、どこかのタイミングで、選挙によって政権を選ぶスタイルを取り入れざるをえなくなるでしょう。そうなると、韓国のような状況に変わってくるのでしょう。




 このように、圧倒的な不利な環境にいる日本にとって、まず必要なのは、外交をウンヌンする前に、国内での意見をまとめることでしょう。どういうスタンスをとるべきかという意思統一が国内でなされていなければ、対外的にに一貫した強い姿勢など取りようがありません。
 そのためには、まず太平洋戦争までの近現代史の総括が不可欠になります。日本として、先の戦争をどう評価するのか、そのベースとなる視点が今の日本ではバラバラです。そのため、竹島問題、靖国問題、教科書問題、何をとっても、日本の姿勢は態度のはっきりしない、受身の姿勢になってしまっています。
 この件は、以前にも書いたことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/santosh/20100314/1268579641

 戦争責任に関しては、公式には、「極東軍事裁判」というものがあり、日本はその判決を認めたことになっているはずです。しかし、多くの日本人はその判決に納得していないため、問題がややこしくなっています。
 外国から見れば、極東軍事裁判の結果、「戦犯」が決められ、彼らが責任者として処罰された以上、戦犯として処罰された人達に戦争の責任があったとシンプルに理解しているはずです。ところが、一方の日本では、極東軍事裁判など茶番だとみながわかっているため、A級戦犯まで靖国に合祀して、首相が公式参拝、それを外国から非難されると、国のために戦い亡くなった人たちを弔うことがなぜ問題か?と開き直っている状態です。外国から見れば、こうした日本の、「本音と建前」のスタンスは、日本的に複雑すぎて理解できるわけがありません。


 一方で、ドイツの場合、ヒトラーをはじめとするナチを絶対的な悪者として位置づけ、すべての責任を押し付けてしまったため、その後の状況は非常にシンプルになっています。あくまでナチによる行いを悪とし、この過ちをことあるごとに自ら責め続けることによって、周辺国との関係も、日本とくらべれば非常によいものとすることができています。

 実際には、当時のナチの政策はドイツ一般大衆の圧倒的な支持を受けていたわけですから、ナチだけが悪者だと言うのは、詭弁でしかないのは明白です。それにもかかわらず、悪びれずにひたすら「建前」を押しとおしたのが、ドイツのやり方でした。しかし、こちらのやり方の方が、日本のやり方にくらべ、対外的には、はるかにわかりやすいのです。


 それでは、日本において戦争の総括ができるのか、というとこれは非常に困難でしょう。周辺国との外交上、国家のことを考えれば、大いに意味のあることであっても、政治家にとっては、内政上、選挙民に直接的なメリットを与えにくいテーマです。むしろ、このテーマに触れることは、日本のさまざまな人たちの過去の責任を、今さらほじくりかえすことになります。

このテーマは「パンドラの函」なのです。幸いにして、今では直接の当事者は殆んど亡くなっているので、客観的な評価はやりやすくなってきているとは思うのですが、依然として残る課題は「天皇」の責任について、どこまで客観的な議論ができるかです。
 戦争責任を客観的に判断していくと、その結論は、「左」でも「右」でもないものになるはずです。つまり、左右両派から攻撃されることは必至です。いつでも「真実」は、複雑に入り組んでおり、シンプルにわかりやすいものではないと思います。「正論」であればあるほど、わかりにくく、大衆受けしない、というジレンマを抱えているのです。
 よって、政治家にとっては、軋轢は多いのに、得るものは少ない、ということになるでしょう。
 「過去の戦争責任を総括し、周辺国との関係を再構築し、強い日本を打ち立てる」。私はこれが日本に必要なことだと思っているのですが、これを旗印にする政治家が出てこないでしょうか。

 いずれにせよ、この、戦争責任はどこにあるのか?というテーマについては、いつか自分なりに整理してみたいと思っています。



 私も含め、今の日本に閉塞感を感じている人は多いでしょう。
 経済的には、韓国や欧米の企業にはまったく歯が立たず、一方で中国が急成長し力をつけている中、日本企業、そして日本国としての競争力は年年低下しています。企業のサラリーマンは、IT化の進行で悪化した長時間労働サービス残業に疲弊し、大量に鬱病の脱落者を抱えながら、ひたすら目先の仕事に愚直に取り組んでいるにもかかわらず、状況が改善する兆しはまったく見えません。40代以下で、明日の生活が今日よりよくなると思っている人は殆んどいないでしょう。
 社会的には、とっくに「先進国」と言われているにもかかわらず、欧米と比べた実際の生活水準は大きな差が開いたままです。特に、都市部の住宅事情は信じられないほど劣悪、ひとびとは長時間の労働と通勤に疲弊しています。昨今は一部の低所得層の拡大が喫緊のテーマに挙げられていますが、それ以前に中産層の暮らしがひどすぎます。欧米の人たちの生活を見れば、違いの大きさに驚くはずです。
 政治的には、政権が変わっても、何一つ実行できず、メンバーがころころ変わっていくだけ。経済的にも社会的にもなんら有効な手を打てず、国内の「政治」にかまけているうちに、状況はずるずる悪化しています。
 外交面でも、急速に力をつける中国にくらべ、絶対的な経済力という「後盾」と「神話」を失った日本の立場は確実に低下していっています。
 

 先日も選挙がありましたが、誰にも期待できないので、投票する気にすらなりませんでした。
 さて、こんな状態から、どうブレークスルーしていけばいいのでしょうか?

 経済面では、いつも財政投資や金融政策ばかりがウンヌンされることが多いですが、私はポイントは、「イノベーション」だと思います。高度成長時代に成功したものののすでに時代遅れになってしまった、ひたすら効率よくハードを生産することによって競争力を高めるやり方、これを商品やサービス、ビジネスモデルの「イノベーション」を生み出すことによって、競争力を生み出す社会に変えていくことです。
 このテーマについては、すでにさまざまな考察がされており、このブログでもたびたび紹介しています。
http://d.hatena.ne.jp/santosh/20100704/1278261985
http://d.hatena.ne.jp/santosh/20100607/1275924385

 このためには、企業レベルだけではなく、社会全体のシステムをいじっていくことが不可欠です。高度成長時代には大成功した日本の社会システム全体を変えていくことになります。しかもそのために参照できるモデルは存在していません。アメリカ型のシステムを、文化や国民性の異なる日本にそのまま移植することは不可能です。ヨーロッパの例を見ても、基盤になる社会が異なりすぎます。日本の文化や国民性、独自の持ち味を踏まえたうえで、イノベーションを起こせる社会を作っていく、これが今日本が取り組むべき壮大な課題です。

 そのためには、社会的にも、女性や高齢者、外国人までを活用できる社会の受け皿・仕組みづくりが必要になってくるはずです。本来、人的経営資源を無駄にしている余裕などないはずです。政治が行うべきは、国家全体としてのメリットの視点から、一部の利権団体との関係を断ち切り、規制緩和と環境づくりを行うことです。

 そして、外交面においては、日本という国が、国の発展のための施策を素直に実行していくための基礎環境として、まず先に述べた「近現代史の総括」を行い、戦後の日本という国の立ち位置を明確にし、その上で強い日本を再構築する。

 これが私の考える、経済・社会・外交「三位一体の改革」です。
(相互の関連性は薄いですが)
 
 今日は、一足早い夏休み中なので、思いつくままにえらそうに書いてみました。