「グローバル・エリートの時代 個人が国家を超え、日本の未来をつくる 」 倉本由香利著 を読む

 待ちに待った夏休み、実に久々にブログ更新します。
 前回書いたのは、GWでしたので、このペースだと次回はお正月休みでしょうか?

 ここのところあまりに忙しくて、家では本を読む気力すら無くしていたほどでした。ましてやプライベートで文章を書く気力・体力などまるでありませんでした。

 この本も、買ったままずっとそのままになっていたのですが、この夏休み、プールサイドで日光浴しながら、やっと読み終えることができました。

 
 まず、この本を読んで感じたのは、話の骨子・枠組みがよく整理されていること。いろいろな本を読んでいると、いまいち全体の構成がわかりにくかったり、ロジックの流れがつながっていなかったり、といった本にあたることも多いのですが、この本は、そういうあいまいさがありません。はじめから明確な構成にもとづいて書いたのだな、ということがわかります。

 内容についても、隙がありません。読んでいる途中で疑問に思う点がいくつか出てきてはいたのですが、読み進めば、それらの大部分に対して、ぬかりなく説明や答えが提示されていました。

 まさに「漏れなく、ダブりなく」書かれた本だなあ、という印象です。

 また、基本ストーリー以外に、著者の考える具体的な施策の例もちりばめられており、この失われた20年間で多くの日本企業の業績が低迷する中、日本の強みを活かし日本企業を強くしたいという、著者のひとりの日本人としての強い思いも感じられる本です。



■この本を読んで、「ああ、そういうこと!」とあらためて気付かされた点がいくつかありますので、書いておきます。


1)日本の「グローバル化」には、3つの波があるということ。
 一つ目のグローバル化の波は、「販売のグローバル化
  〜明治時代から高度成長期にかけて、日本製品を直接海外で販売するためにおこった販売機能や物流機能のグローバル化
 二つ目のグローバル化の波は、「生産のグローバル化
  〜80年代から本格化した、貿易摩擦円高への対応として生産工程やソフトウエアなど労働集約的な過程を海外に移転する動き。

 三つ目のグローバル化の波が、「組織のグローバル化
  〜新興国市場の拡大に対応し、外国人をとりこみ、研究開発・経営など付加価値の高いプロセスをグローバル化する動き。これからはこの新たなグローバル化に対応していかねばならない。


 このように整理されると、今まで漠然と使っていたグローバル化という言葉の意味する範囲が、明確に輪郭を持ってきます。


2)グローバル化した組織においては、組織を「グローバル部門」と「ローカル部門」の二本立てにし、それぞれ別な業績評価基準で運営していくべきだということ。
 またそこで働く人たちは、「グローバルエリート」「ローカルスペシャリスト」「ローカルサポーター」に、役割と評価基準を明確化されるということ。
 


 これが『イノベーションのジレンマ』で述べられていた、既存事業にとっての最適な経営判断が新規事業にとって足かせとなる、という普遍的なジレンマの解決策にもなるという考えです。

 かつての日本の多くの製造業では、国内の既存事業をメインに推進するメーカー本体に対して、「商社」が、実は「グローバル部門」の役割を担ってきた、という指摘はまさに目から鱗で、腑に落ちる話です。

 また、組織のグローバル化を果たした将来の日本企業のイメージを、2025年の架空の企業「A社」の具体事例として説明する手法は、具体的に著者の言わんとすることがイメージできて、実に良い手法だな、と感じました。
 


■次にひとつ疑問に思ったことを書いておきます。

 以下の点は、著者の語るストーリーの本題からは少し外れてはいるのですが、実際に、グローバルでエリートになれず、日々苦戦しながら仕事をしている私自身が、日ごろ直面し答えを模索していることでもあります。



 この本は、グローバル化において求められる組織や人といった枠組みの話が中心ですが、結局、企業が勝っていくためには、どこで何で突き抜けるのか、という経営戦略の話になってきます。
 その方向性の例として、著者は、こだわりの製造技術や、おもてなしのサービス業といった例を挙げているのですがが(これはあくまでなぜ日本人がなぜそうしたグローバル企業においてメインプレーヤーになりうるのか、という文脈で出てきている話なのですが)、こうした方向性で差別化して勝つということと、著者のイメージする「グローバル組織」のあり方が矛盾しないのかについては、疑問を感じています。

 著者は、日本人が強みをもつ製造技術を活かし、これをグローバルエリートが、明文化して、論理的にさまざまな地域の人達に説明・訓練していくことによって、「日本の文化的背景に基づく製造業の強みを、グローバルな組織の競争優位性に変えていく」ことができる、と述べています。

 私がいつも疑問に感じているのは、こうした強みは、著者も指摘するように日本の「文化的」背景に根差しているがゆえに、たとえ「見える化」し、マニュアル化したとしても果たして著者のイメージするレベルまでグローバル展開することが、本当にできるのだろうか、ということです。

 日本の製造業そしてサービス業における強み(また弱みにもなりえますが)は、仕上げの細かさ・完璧さへの追及などもありますが、ただマニュアル化されたものに従うのではなく、現場が、自ら判断し、状況に合わせ、周囲と自律的に調整しながら、日々改善を行っていくところにあります。
 製造業では、これが「カイゼン」という言葉で概念化されていますし、サービス業では、セブンイレブンの「仮説・検証」などがそうでしょう。
 
 私自身、海外のひとたちと仕事をする上で感じるのは、こうした発想は、きわめて日本文化、また日本社会に根差した考え方のため、海外のひとたちには理解させることが非常に困難である、ということです。東アジアのひとたちならば、まだ可能性があるのかなとは思いますが、欧米の人達に理解させることはそう一筋縄にはいかないでしょう。
 ものづくりという点では、日本の対極としてドイツのものづくりがありますが、彼らのものづくりへの思想、プロセスといったものは、日本のものづくりとはまるで異なります。正反対といっていいかもしれません。しかし、彼らのやり方の方が、日本のやり方よりグローバル展開には適しているようにも見えます。
 
 これは「経営理念」の共有というレベルではなく、もっと土着的な、文化的な問題だと思います。
 
 トヨタコマツのような企業はそれをすすめているということですが、実際にはどこまでできているのでしょうか? 単に仕組みづくりや方針だけではなく、各国のローカルのオペレーションの現場まで風土として落とし込まれているのでしょうか?

 セブンイレブンは、日本ではあれほど「仮説検証」の考え方の徹底と、それを実現するシステムづくりをすすめ、それを競争力の根源にしてきましたが、それは海外の店舗においては、適用できているのでしょうか? アメリカのセブンイレブンの店長は、いろいろなパラメーターを設定しながら自分で販売予測をたて、日々発注し、日々その検証をしているのでしょうか?


 これは単に私の疑問ですので、きちんとやればできるものなのかも知れません。ただし、「2025年のA社」の姿にまで持っていくためには、単に、「明文化して、論理的に説明する」、というレベルの一般論ではなく、もっと本質的でぐさっと刺さるアクションが必要であるように考えています。

 それが何なのかはわからないのですが、この本のストーリーを実際に実現して競争力のある企業をつくるためには、そこが一番のポイントであるように、私は感じました。


 バラバラと書いてきましたが、この本は、「組織・人」の面に関して、実によくまとまられた本です。
 これに、実際の個別の事業において、どこで何で勝つのかという軸を組み合わせたときに、どのような具体的な最適解がありうるのか、これを考えていかねばならないなあ、とビーチサイドでつらつら考えた次第でした。



 タイ カオラックの、SAROJIN HOTELにて。