「あの戦争は何だったのか」 保坂正康著 を読む


 GWもあっと言う間に最終日。
 明日からはまたバタバタの生活になりますので、久しぶりに重めのテーマについて書いてみます。


 この本、宣伝用の帯に書かれていた塩野七生氏の推薦文、
「天国への道を知る最良の方法は地獄への道を探究することである、とマキャヴェリは言ったが、戦後日本人はそのことをしてこなかった。この本はそれを教えてくれる」 
を見て、「まさに然り」と思い読んでみました。


 「大人のための歴史教科書」という副題がついているように、内容は、2.26事件以降の太平洋戦争の流れを、いくつかのトピックを拾いながら教科書にざっと追っている感じです。
 内容の殆んどは、今まで多くの書籍で語られてきていることと重なっていると思いますが、「戦争をあおったのは、陸軍よりもむしろ海軍だった」、などの独自の視点もみられます。


 著者がこの本を通じて書こうとしているのは、本の「あとがき」に明確に書かれている通り、以下の2点での太平洋戦争批判です。

 1.戦争の目的は何か、なぜ戦争と言う手段を選んだのか、どのように推移してあのような結果になったのか、についての説明責任が果たされていないこと。
 2.戦争指導にあたって政治、軍事指導者には、同時代からは権力を賦与されたろうが、祖先、児孫を含めてこの国の歴史上において権限は与えられていなかったこと。
 

 上記の2点目のポイントについては、「歴史上の権限」という概念がいまいちピンと来ないのですが、1点目については、まったく同感です。



 上記の1点目のポイントについては、戦後、今までずっと曖昧にされたままだったわけですが、私は以下の2つの点で、このポイントを突き詰めていくことが重要だと考えています。


 1)太平洋戦争の失敗のプロセスには、日本社会が抱える本質的な課題が象徴的に現れているが、その課題は、現代においても何ら変っておらず、最近になってもまた同じ過ちが繰り返されているということ
 2)日本国内における戦争の総括がされていないがために、対外的にみると日本の姿勢が常にぶれており、それが日本の国際的な立場をより弱くしてしまっていること。



 まず一つ目のポイントから。

 著者も書かれている通り、
 「戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく」
 「対症療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対応策に入り込んでいく」
 「現実を冷静に見ないで、願望や期待をすぐに事実に置き換えてしまう」

といった、太平洋戦争における日本軍の失敗ポイントは、まさに現在の日本の多くの企業において起きている課題そのものだと思います。

 戦後の高度成長期は、世の中の動きのベクトルがシンプルで、土台となる戦略よりも戦術面での差が競争力となる時代でしたので、こうした一つの決まった方向に集中して突っ走るという日本社会の特性はプラス面に働いてきました。しかし、高度成長期が終わり、現場での戦術より、戦略が重要な時代に入るや否や、かつて成長期に一世を風靡した多くの日本企業は、太平洋戦争における日本軍のように劣勢に追いやられてしまっています。

 製造業の世界ではいまだに、「高い技術力があれば競争に勝てる」、「製造現場でのカイゼンが競争力の根源だ」といったかつての勝ちパターンを盲目的に信仰し、知らず知らずのうちに、それと心中しかけている人たちが多くいます。
 これは、航空機を活用しながらも、結局「大艦巨砲主義」から抜け出せなかった日本海軍や、歩兵による「銃剣突撃」の成功パターンから抜け出せず、いたずらに死者を増やしていった日本陸軍と同じではないかと思います。

 一方で、戦争に勝ったアメリカ軍は、日本軍とは対象的に、軍隊以外からも広く人材を集め、信賞必罰の人事システムをつくり、変化する状況に臨機応変で対応するダイナミックな組織をつくることに成功していました。

 こうした日本型組織の持つ課題は、早くから、野中郁次郎氏等による「失敗の本質」などの本でも指摘されてきていますし、学者やジャーナリストによる研究は多くされてきているのでしょう。しかし、国として、この貴重な失敗体験を総括して、次代のためにそこから学ぶ、という取り組みはされてきていないようです。
 この課題を突き詰めていけば、単なる責任論だけではなく、アメリカとは異なる、日本人・日本社会特有の「空気」や「曖昧さ」などの文化論にぶつかっていくでしょう。しかし、日本特有の「文化」だから、では終わりにせず、それを踏まえたうえでの日本社会の持つ強み・弱みを客観的に認識し、失敗を繰り返さないための教訓と方法論を整理していく、これが求められていることなのだと思います。
 これは、昔から、もっと考えてみたいと思っているテーマです。


 靖国神社参拝の記事などを見ていると、戦争で亡くなった人たちを敬うにあたって、「彼らの死があるから今の日本がある」などという発言をよく耳にします。私は、このロジックがまったく理解できません。
 戦争に勝ったのならそうでしょうが、実際には戦争に負けたのです。命をかけて守ろうとした日本は負けてしまった以上、どう考えても200万人以上の人々は、無駄に死んでいったのです。
 この事実を、歪めて美化してもいけないですし、かといってフタをして無視してもいけない。
 この莫大な悲劇と損失を、今のまま単なる「犬死」で終わらすのか、あるいはその経験を反面教師としてフル活用して、失敗の原因を学び、将来につなげるのか。

 果たして靖国神社で眠る英霊たちはどちらを望んでいるのでしょうか?



 続いて二つ目のポイントです。
 2)日本国内における戦争の総括がされていないがために、対外的にみると日本の姿勢が常にぶれており、それが日本の国際的な立場をより弱くしてしまっていること。

今までも断片的にこのブログで書いてきたのですが、戦争についての日本の立場は、対外的な公式のものと、一般大衆がとらえているものとの間にソゴがあります。

 公式には、日本政府は極東裁判の判決内容を認め国際社会に復帰したわけであり、日本以外の国は、極東裁判の内容が日本の公式な立場だととらえているでしょう。
 一方で、日本国内では、殆んどの人が、極東裁判など、勝者が敗者を裁いた復讐劇だとしかとらえておらず、A級戦犯に課せられた「平和に対する罪」など冤罪だと考えている人が大部分でしょう。
 このことが、戦後70年近くたった今でも、問題がややこしくなっている原因だと思います。

 最近、安部首相は、太平洋戦争は侵略ではなかった、という発言をし始めて、欧米のメディアでも物議を醸しています。その背景にあるのは、安部さんとしては、「侵略」だったのかどうかは、歴史をどう見るのかという相対的な「歴史観」の問題だと考えているのに対して、対外的には日本と言う国が、敗戦後、国際社会に復帰する条件として認めた歴史に対する認識を、今になってひっくり返そうとしている、という捉え方をされてしまう、ということでしょう。
(この件については、その後、日本の国会で、戦犯の免責決議をしているため、すでに戦犯はいなくなっているという主張もありますが、この件が国外ではどこまで認識されているかはわかりません)

 これから憲法の改訂の議論が盛んになっていきますが、こうした国内外での歴史の認識ギャップの問題が整理されていない以上、国内問題が国内問題では片付かず、いつまでも中国・韓国との間では問題がくすぶり続けることは必至です。

 憲法改訂に取り組むためには、その前に、この非常にややこしい戦争総括の課題を片づけなければいけないのです。



 尻切れトンボですが、そろそろ時間切れですので、今日はここまでにします。
 明日からまた寝不足になってしまいますので。


このテーマは過去のブログでも何度か書いてきました: 「たかじんのそこまで言って委員会」 靖国問題は、日本が先の大戦の総括をしない限り片付かない - Santoshの日記

 日本の戦争責任について考える Santoshの日記