なぜ欧州人とは話が噛み合わないのか?(続)

 以前、このテーマで書いたことの続きです。http://d.hatena.ne.jp/santosh/20091013/1255448264

 先日書いたことは、欧州人と話が噛み合わないことの背景として、議論の内容以前の問題として、まず前提となる基礎知識・基本認識(歴史、文化から一般常識まで)が共有されていないこと、が大きいのではないか、ということでした。
 互いに違うベースの上で議論を組み立てているので、いつまでたっても話が噛み合わないということです。

 一方で、こうした「共通認識」の問題以外に、「ロジック」の問題も存在しているように思えます。

 大前提として、あくまでこれは、ある程度規模のある企業の、一サラリーマンとして、つまり経営者としてではなく、ビジネスをしている上での、個人的経験によるものです。一般化するのは無理があるかも知れません。ですが、整理のためにあえて単純化して書いてみます。


 ロジックの上で違和感があるのは、結論にいたるアプローチです。日本の企業では、一般に、現場からの具体的な事実の積み上げによって、一歩一歩答えを積み上げていくというアプローチをとるのが自然です。何かしらの結論を出す前には、あらゆる方向から検証を行って、事実や数字を積み上げていきます。そのプロセス無しに、結論をだす場合、非常に不安を感じ、何か腑に落ちないですし、それ以前に企業内で話が通らないわけです。

 一方、欧州の人たちと接して感じるのは、事実の積み上げをそれほど重視しない、ということです。
 たぶんこう指摘すると、必ず「いやそんなことはない、十分事実を積み重ねている」と反論されるのは必至なのですが、その事実たるや、日本の感覚からすると、どれも根拠不明確のふわふわしたような内容であることが多いのです。日本企業のアプローチのように「なぜ」を数回繰り返して突き詰められた場合、すぐに論理が破綻してしまうような、根拠の弱い内容なのです。

 それでは、そこを指摘すると、次にどういう反応が来るかというと、「細かい事実の積み上げより、まず大きな目的やミッションは何なのか」、に話がすりかわっていきます。目的やミッションがこれなのだから、やるべきことはこれである、ということです。
 つまり、事実を積み重ねていくというプロセスよりも、まず結論に早く到達し、そこからあるべきアクションを落とし込んでいくというステップをより重視しているようなのです。

 これは、「帰納法的アプローチ」と「演繹法的アプローチ」の違い、と言えるのではないかと思います。


 一般に、日本企業においては(勿論すべての日本企業というわけではなく、私の務めている企業を代表させて考えている訳ですが)、現場レベルで、戦術を考え、それをボトムアップ(中間管理層が中心になるので正確にはミドルアップです)で、経営層に上げていき、そこで判断がなされる(或いはなされない)、という形が多いように思えます。ミドルアップのステップを経ずに、経営層から具体的な方向性が下されることは稀だと思います。

 電機や自動車などの業界では、80年代までの成長期には、企業として進むべき大きな方向性(戦略)は、比較的シンプルでわかりやすかったことと思います。すぐれた技術を開発し、コスト力をつけ商品化すれば、売れて利益が出る、という、きわめてわかりやすい時代だったわけです(今でもそう思っている人が大部分ですが)。

 この時代には、大きな戦略はどこの企業にとっても似たり寄ったりだったわけであり、現場の戦術レベルでの力の差が、競争力の差にあらわれていたのではないかと思います。
 つまり、当時の日本企業の成功パターンであった、現場主体によるQCDの「カイゼン」です。 
 大戦略の判断が相対的に重要でない場合、あちこちに広がっている「現場」が、それぞれの現場の事情に対応して、独自の判断で、スピーディーに方向性を検討し、経営陣はそれを追認する、というやり方が、もっとも、競争力のあるパターンではないかと思います。上層部の経営陣がそれぞれの現場の状況を的確に把握することは困難ですし、あくまで大方針からずれていなければ、現場で起きていることは、現場で最適な判断を行う、ことが効率的かつ効果的なわけです。
 結果として、ミドルマネージメントが、現場での事実をベースに、彼らがコントロールできるサイズでの個別の経営判断を行っていく、というひとつの経営スタイルが固まってきたと思います。
 しかし、昨今では、80年代までのように、大戦略は一定という状況ではなく、複雑かつ不確実性が高まってきています。こうなると、現場から積みあがってきた内容を見ても経営陣は判断のしようがない、あるいは、矛盾点が大きくミドルマネージメントでは解決案のつくりようがない、と言ったたぐいの状況が、多発してきています。こうなると、ミドルアップではなく、トップダウンが必要になってくるわけです。


 一方で、欧州においては、経営スタイルは、よりトップダウンだという印象を受けます。大きな戦略としての方向性は、経営層が下す、ミドルマネージメント以下は、それを執行する、という役割の分業が明確にあるようです。よって、ミドルマネージメントクラスでは、自らが、現場の状況から自分のコントロールできるサイズでの最適な経営判断を行い、ビジネスを推進していく、というマインドは弱いようです。彼らからすると、それは、トップあるいは、トップを補佐し、戦略を検討する「戦略部門」の仕事なわけです。

 日本企業においては、一般に「経営陣」と「その他の社員」が、はっきりわかれていない、ということもあるのでしょう。同じように入社した人の中から、優秀な人が経営陣に昇進していく、よって経営陣は、現場の出身であり、経営陣とその他の人たちとの境はあいまいになりがちになります。
 一方で、欧州の場合、経営者は、経営のプロフェッショナルとして、会社を渡り歩いている場合が多い。つまり、最初から経営者と、その他の人たちとは明確に区別されていることが多いようです。


 軍隊においても、同様の例があるように思えます。
 かつて、日本軍は現場での下士官レベルが優秀であり、現場の個別の戦闘では強かった、しかし、大きな戦略が弱かった、と言われています。太平洋戦争の結果を見ても、まさにその通りではないかと思います。
 一方、ドイツ軍は、「参謀本部」の発祥の国です。戦略を専門的に検討する組織を育成し、トップダウンでの戦略を重視していたようです。(といっても結果的には負けたわけですが)

 日本企業も、旧日本軍と同様に、個別戦闘では強いが、大戦略の立案は弱い、という傾向を依然ひきづっているように思えます。しかも、80年代までは、それが日本企業の競争力になっていたために、課題であるということを十分認識できていません。現場からの積み上げによる強みを維持しながら、どうやって、戦略的な経営判断もできるような仕組みをつくれるのか。このままでは、太平洋戦争の結果の二の舞になるのではないか、という危機感を感じてしまいます。 

 話が広がってしまいましたが、われわれ現場レベルの人が欧州人と話をすると、話が噛み合わない原因は、こんなところにもあるのではないかと思っているのです。