「竹島密約」 ロー・ダニエル著

 この本は、竹島がどの国のものかという「領土問題」について語っているわけではなく、日韓国交正常化の交渉を中心に、両国間のやりとり・駆け引き、そしてそれを巡る当時の両国の世相について語っている本です。
 「竹島」という、感情的に流されやすいセンシティブな題材を扱っていながら、著者のトーンは一貫してきわめて客観的であり、取材によって明らかになった事実を積み重ねて、淡々と歴史のドラマを語っていきます。
 こうしたトーンの本が韓国の人(少なくとも韓国出身者)によって、書かれたことは驚きです。おそらく、日本での出版のみを想定して書かれた本なのでしょう。韓国で出版するには、反日トーンが薄すぎるのではないかと思います。


 この本を読んで感じたことの一つは、まず、当時の関係者が非常に若かったということ。
 さらに、政治や外交が、今普通にとらえている「国」と「国」という非常に重く大きなレベルではなく、個人レベルの軽い行動や判断によって行われていたらしい、ということ。 
 朴正煕大統領のもとで、日韓交渉の中心となって動いていた金鐘秘氏は、当時36歳。朴正煕自身も、'61年の軍事革命当時、まだ44歳でした。
 彼らが、国という重い組織の代表というより、多分に個人の裁量で動き回って、外交を推進していたのです。 
 私の勤める会社では、いくら優秀であろうと、36歳といえばまだペーペーでしかなく、会社のトップと同レベルで仕事をすることなどありえないのですが。

 さらに、外交を実質的に推し進めたのは、国をオフィシャルに代表する外交官によるフォーマルな外交交渉というより、両国のフィクサー達による人間関係と料亭外交であったということ。

 両国のトップ外交の交渉の場に、なぜか、嶋元謙郎氏や、渡辺恒雄氏といった新聞記者が同席している(取材ではなく、外交の世話役として参加している)というのも、今から考えれば無茶苦茶な話です。

 この時代の日韓関係というのは、いま普通に考えられる「国」と「国」との関係ではなかったのでしょう。

 当時の日韓の人たちは、まだ日本語という共通言語と、共通の文化背景(あるいは軍隊経験)を共有しており、義理と人情をベースとする「浪花節的」なやりかたで、外交までを進めることができていたのです。 著者はこれを、欧米で主流である「合理的選択」を人間の判断基準とする考え方、の対極に位置するものだととらえています。

 日本の政治家にとっては、韓国との折衝は、おそらく外交というより、国内政治の延長線上でとらえられていたのではないかと思われます。すでに日韓が普通に「国」と「国」の関係になっている現在では、想像し難いことです。


 次に感じたことは、朴正煕大統領の、国の発展への強い意志です。
朴正煕大統領時代は、私が子供の頃にあたりますが、当時韓国というと、軍事独裁政権と民主化闘争、市民弾圧、学生デモといった非常に暗いイメージしかありませんでした。当時の日本での報道は、特にこうしたネガティブイメージに偏っていたのではないでという気もします。
 しかし、今当時の話を読むと、朴正煕は、革命当初、韓国を経済発展させるために、非常に明快に各種施策を計画・実施していったことがわかります。
 朝鮮戦争による破壊と大混乱を経て、経済発展にはあまり貢献しなかった李承晩政権、そして学生革命後の社会混乱期と、憂国の志を持った人たちにとっては、フラストレーションがたまっていたことでしょう。
 軍事革命にあたっては、すでに高度成長に入った日本を横目で見ながら、なんとか韓国を早く発展させなければならないという、強い思い意志が働いていたことと思います。
 国を早く発展させるためには、5カ年計画のもとにベクトルを動かさず、当面のやるべき事にヒト・モノ・カネを集中する。そのためには多様な意見に邪魔をされず、政策・方針をぶらさないことが不可欠であるため、強権の発動もためらわない。こうした朴正煕大統領の姿勢は、今となっては、客観的には理解ができるものです。

 このような、いわゆる「開発独裁」の期間は、1国の歴史において、高度成長を実現するためには、必要な時期なのではないかと思います。
 その成功事例が、韓国であり、シンガポールなのでしょう。
 また、反対の事例が「世界最大の民主国家」インドではないでしょうか?

 とはいうものの、「開発独裁」による経済発展の結果をまだ目にしていなかった当時の人たちが、どう感じていたかは別でしょう。
 完全に民主化された今の韓国に住む人たちは、かつての朴正煕大統領時代をどうとらえているのでしょうか。

 ちなみに、サングラスをかけた朴正煕は、実にタモリに似ています。