「『美の文明』をつくる−『力の文明』を超えて」 川勝平太著

 6,7年前に、この著者の「文明の海洋史観」という本を読み、梅棹忠夫の「文明の生態史観」をさらに展開させている学者なんだろうと思っていました。この本は、そのあとに買った本なのですが、途中まで読んでそのままになっていました。
 ところが先日、著者が静岡県知事に当選したというTVニュースを見て、学者からいつの間に政治家になったのだろうかと思い、あらためて本書を引っ張り出して読んでみたわけです。

今日の午後、数時間で読んでしまったのですが、全体の印象として、 
・まず、話の視点・構想が大きい。

・視点がユニーク。関係なさそうな、思わぬ事どうしを結びつけてストーリーをつくっていく。
・表現がうまい。ユニークな発想を、わかりやすいキャッチフレーズで表現している。
・単なる分析・批評だけではなく、具体的な提案にまで言及している。

ということを感じました。さらに、著者はルックスも整っていますから、これは、まさに政治家向きと言えるでしょう。

 さて、本書の内容をざっと俯瞰してみます。著者は、一見ばらばらに見える事柄を、大きな文明観で結びつけて語っていきますので、ポイントをまとめるのが、難しいのですが、私が印象に残った個所をつないでいくと以下のようになります。


 明治維新以来の日本の国家建設は、西洋の「力の文明」「強い文明」にキャッチアップすることを主眼にしてきた。
 その方向性は、明治政府の主要メンバーである大久保利通伊藤博文などが、1871〜73年の岩倉使節団の欧米訪問で、欧米各国の富国強兵を目の当たりにしたことによって固まった。
 一方、西郷隆盛は、「敬天愛人」を理想とし、徳による「東洋的文明」国家づくりを志向していたが、大久保利通などとの政争・続く西南戦争に敗れ、歴史から退くことになる。
 その後、日本は西洋文明の受容に邁進し、富国強兵を実現していく。 
 現在の日本はすでに、西洋文明のキャッチアップは、ほぼ成し遂げたと言うことができる。

 一方で、環境問題が深刻となる現在の世界では、今までの「力の文明」の限界が見えてきている。

 文明が依って立つ価値を「真・善・美」とするならば、西洋社会における力点はまず「真」にあった。それは、キリスト教に対する科学技術という形での「真理」についての対立において顕著であった。
 科学的真理が一般化し、科学技術の進化の結果として産業革命が進展し、富の偏在が起きるようになると、次に生じた対立は「善」についてであった。
 20世紀最大の対立は、「自由」と「平等」、そのどちらが「正義」=「善」か、という争いであり、これが自由主義圏と社会主義圏との世界を2分する対立となった。
 9.11後、アメリカがテロに対し繰り返し主張しているのは、自分たちが正義=善であることである。アメリカ文明は「善」という価値に立っているが、それは常に「独善」となりうる危惧に結びついている。
 21世紀の現在は、地球環境の保全が新たな大きなテーマとなっているが、この問題が立脚している価値は、「真」や「善」を踏まえたうえでの「美」であると言える。
 このように、文明における価値の力点は、「真」→「善」→「美」へと変化してきている。

 日本人は、西郷隆盛の例でみられるように、もともと西洋文明とは異なり、「徳」や「美」を重視する遺伝子を持っている。幕末から明治に日本を訪れた多くの西洋人は、当時の日本の美しい景観に驚嘆している。それは、美しい自然景観だけでなく、庶民の家々が草花をめでるという生活景観についても言える。

 日本は、西洋へのキャッチアップを成し遂げた今、明治以来、追及してきた「力の文明」ではなく、独自に「美の文明」を打ち立てる時期にきているのではないか。


 さらに、それに関連し、首都移転や地域分権のアイデアが述べられています。面白いのは、首都を移転しなければならない理由は、単に東京の一極集中による国土の不均衡の問題などではなく、奈良時代からの日本の歴史の視点から見ると、それぞれの時代において、文化の受け入れ先とその時代の首都が結びついており、東京は歴史的にすでに首都としての役割を終えている、という解釈です。

 奈良や京都は、唐(中国北部)の仏教文化律令制の受け入れ窓口であり、続く鎌倉は、南宋(中国南部)の禅などの文化を受け入れ、室町時代においては、京都においてその両者が融合し中国文化の取り入れが完成、続く江戸において、中国文化から自立した日本独自の文化が発展した。
 明治以降、東京は、西洋文明を取り入れ各地に波及させる窓口であったが、その必要性が薄れた今、首都もその機能にあった形の形態に代わるべきだ、

という意見です。
 この件は、整理のために、チャートにしてみました。

 
 都市部に集合住宅が無秩序に広がる日本の都市景観は美しいとは言い難いが、もともと日本語の「家庭」という言葉は、House in the garden 或いは、House with the gardenだった。都市部一極集中を打破し、自然の多い地域に居住空間をつくるための一つのアイデアとして、都市部の住民が土地を持ってガーデニングや農業をできるよう、サラリーマンに対する農地解放をすべき、
という発想もユニークです。


 私が欧米人と接して感じるのは、彼らは自分たちの文化、価値観に、何ら迷いがない、自身に満ち溢れているということです。特にアメリカ人にはその傾向が強いようです。
 彼らにとって、歴史は常に一方向へ流れており、それは断絶することなく、一貫して進歩を続けている。価値観が、他者によって、外部から大きくよじまげられた経験がないため、自分たちの価値観に迷いがないのです。そのバックボーンには宗教の存在もあるのでしょう。  
 一方、日本人においては、明治維新以降、特に敗戦後、それまでの価値観の上に、西洋文明・文化を取り込んできたため、つぎはぎ状態となっており、さまざまな事物を一つの体系に整理することができず、価値観には常に迷いがあります。長い歴史の中で築き上げられてきた良い面・すぐれた面もその権威を失ってしまい、いわば何でもありの無法状態になってきているように思えます。

 そろそろ、体に合わない服を着るために、体を無理に服に合わせるようなことはやめて、もっと日本人が遺伝子として引きずってきているものに自然にフィットする服をつくっていくべき時代に来ているのかも知れません。
 ですが、それができるのは、欧米へのキャッチアップの時代に生まれ育ち、人格形成してきた我々の代ではなく、その後に生まれ育った世代の人たちになるのではないでしょうか。