「最強企業のつくり方」 金顕哲著

 
 新刊本です。著者は、日本と韓国の両方で活躍する経営学者だそうです。最近、サムスンなど韓国企業の好業績が俄然注目を浴び、その秘密を知りたい、という欲求が高まっていますので、タイムリーに出版された本と言えましょう。
 著者は、経営学の考え方や研究結果を踏まえながらも、それらは軽く触れるにとどめ、とにかく一般の人にわかりやすいように、身近な例を引きながら、噛み砕いて話を進めています。わかりやすくするために、乱暴に言いきってしまっているところが気にはなるのですが、その分、論旨はシンプルに理解できます。著者は、講演やセミナーが得意なのだろうと思います。

 今まで、韓国企業を分析する本はいろいろ読んできたのですが、この本では、より文化的な、柔らかい切り口から、面白い視点を提供しています。韓国と日本の両方を良く知っているからこそ出てくる視点だと言えましょう。文化的な切り口というのは、因果関係のロジックの世界から外れて、乱暴な推測になってきがちではあるのですが、著者の場合、文化の違いを十分咀嚼した上での意見なので説得力があります。


1.「適当主義」の効果

 日本がとことん極めて「やりすぎ」に走ってしまうのに対し、韓国は「適当主義」。デジタル時代には、「そこそこ」の品質で安くて良いものをつくり、ビジネスの規模を先に拡大させた方が勝ってしまうため、韓国の「適当主義」が適している。

 昔から韓国の「ケンチャナヨ」精神は、韓国人の人間性を語るときには良い評価を受けても、製造業の世界ではどちらかというと否定的な捉え方をされていたはずです。それが、反対に、デジタル時代にはいい方向につながった、というのは、言われてみるとその通りです。

 これは、韓国企業がビジネスをグローバルに展開させていくときにも役立っていると思います。日本企業は、やりすぎなほどの緻密な管理を行う傾向があるのですが、海外展開した場合、現地社員のマネージメントではそこまでの細かい管理が不可能なことが多く(あるいはそこまでの管理をしなければいけない理由を納得させられない)、結果、現地人に任せられず、日本人がずっと仕事を抱え込むことになりがちです。
 一方で、韓国人のように、プロセスは大雑把にやりながらも、最後の結果は何とかつじつまを合わせてしまうような弾力的なやり方は、多様性のある環境・メンバーで、スピードに結果が要求される現代のビジネスには、適応力が高いと思います。


2.短期集中型の仕事の進め方とストライキの意義

 アメリカ型の開発方式は「リレー」。各人の職務範囲が明確に分かれており、前工程から後工程へ、仕事を終えてから引き継いでいくので開発に長い時間がかかる。
 日本型は「ラグビー」。職務範囲があいまいなため、前工程と後工程がオーバーラップしながら共同で開発を進めていくので、開発期間が大幅に短縮できた。
 ここまではよく言われていることです。
 それでは、韓国型はと言うと「騎馬戦」。全体の設計や仕組みが整っていなくても、「ケンチャナヨ」精神で、とにかくスタートと同時にみなが一斉にわっと走り出す。そして「パリパリ」精神で、短期間に集中して対応し、何とか片づけてしまう。
 そのかわり一仕事終わると、もう緊張感は持続できず、一気にトーンダウンしてしまう。そのために、毎年のように、1か月ほどはストライキを行って、息抜きをし、英気を養うのである。


 韓国のストライキと言えば、労使対立のネガティブなイメージしかなかったのですが、実は、韓国型の仕事のやり方においては、このように一定の役割を果たしている、というのは新たな視点でした。


3.ブランドやデザインで勝てた理由

 日本の経営者が一般的にブランドづくりを重要視していないのに対し、韓国企業の経営者はブランドに非常にこだわる。その背景には、「大義名分」や「面子」にこだわる価値観がある。韓国人は昔から、自分の名前を非常に大切にしてきた。自社のブランドに対する思い切った投資はこうした価値観に根ざしている。
 さらにサムスンなどの韓国企業はデザインで勝負しようとする。日本人は外見より中身で勝負しようとするのに対して、韓国人は目立ちたがり屋で、派手なデザインを好む。こうした「外見主義」が韓国企業のデザイン重視につながっている。
 デジタル時代においては、付加価値を生むのは「ブランド」と「デザイン」。韓国企業の特性はそこにぴったりと合致していた。


 韓国人の伝統的な名前へのこだわりと、企業のブランドへのこだわりが、つながっているというのは、初めて気付きました。
 また、「外見主義」もそのとおり。韓国へ行けば、ビルは日本のように機能的で地味なものではなく、ガラスで覆われキラキラしたものばかり。服装でも、雑誌に出てくる恰好そのままのようなファッションを、普通の人が臆することなく着てしまいます。
 昔、韓国留学時代に、台湾に旅行したことがあるのですが、その違いに驚きました。台湾の人たちの服装は何かぱっとせず、全体に見栄えはあまりよくありません。街並みもごちゃごちゃして、建物の外観は薄汚れた汚いものばかり。ところが、知人の家に呼ばれて、家に入ってみると、中はキレイです。暮らしぶりを見ても、ついこの間まで貧しく、まだそれを引きずっていた当時の韓国の人よりも、はるかに余裕のある暮らしをしているようでした。台湾との比較で、いかに韓国人が体面を重視するのかを認識したのでした。


4.殿様経営の日本と、皇帝経営の韓国

 企業の分析においては、「理念」→「戦略」→「実行」という段階に分けて分析する方法がある。
 日本企業は、「実行」が非常に強く、また「理念」がしっかりしている企業も多いが、「戦略」が決定的に欠落している。トップが戦略を示し、経営をしていくのではなく、現場からのボトムアップで意思決定がなされていく。トップは、理念を語って、対外活動を行っているいるだけで、「殿様」のように存在しているだけである。結果として、こうした日本企業の「戦略」不在が、「オレもオレも」の模倣戦略を生むことになった。
 一方で、韓国企業は、所有と経営が一体化し、トップが全権を持つ「皇帝」経営である。


 殿様経営と皇帝経営という表現は非常にわかりやすく的を得ていると思います。日本の「殿様」というトップのあり方は、日本では当たり前に思われていながらも、世界的には非常に特殊なスタイルだと思います。日本以外では、トップは自ら戦略を決めて、方針を決め組織を動かしていく、それが彼らの仕事であり、どれだけ戦略を決めてナンボ、という認識があるようです。それで失敗すれば、経営者は入れ替わっていく。
 日本では、できるだけトップが難しい判断しなくていいように、下がキチンとストーリーをつくってトップに上げていくことが多いと思います。高度成長時代で、やるべきことが明確だった時代にはそれでよかったわけですが、現在のように、常にいくつものトレードオフ関係を抱えての難しい経営判断が求められているときには、このやり方ではうまくいきません。現場ではすべてを満足させる答えが出せないのだから、トップがその条件のもとで何らかの判断をせねばいけないのに、トップは、自分が求めているものが上がってこないからといって、またやり直しをさせる。その結果、いつまでたっても、ぐるぐる回って経営判断がなされないか、あるいは問題の本質にフタをして、その場をとりつくろったでっち上げの絵で、仕事が進んでいくか、のどちらかになります。殿様経営は、天下泰平の時代には適していても、戦国時代には適していないのです。今、日本企業に求めらているのは、織田信長のようなキチガイじみたトップなのでしょう。