「池袋チャイナタウン」山下清海著 を読む

 山下清海氏には、「東南アジアのチャイナタウン」という本があり、ずいぶん昔に読んだことがあります。今から20年以上前の学生時代、私は「地理学」専攻でしたので、同じ大学出身の大先輩として山下先生の名前と著書は目にしていました。


 「東南アジアのチャイナタウン」は、私にとっても、興味と憧れの対象でした。

 はじめて東南アジアの地に踏み入れたのは、大学を卒業する直前です。バックパックを背負ってヨーロッパまで旅行した際、購入した格安チケットが南周りのマレーシア航空だったので、クアラルンプールでストップオーバーして、2週間ほどマレーシア・タイを旅行したのでした。
 ヨーロッパは、わざわざお金をかけてやってきた割には、風景も北海道とさほど変わりなく、芸術にも、歴史にも興味のなかった私には何の感動もありませんでした(旧東独では、毛糸で編んだ帽子や、子供をそりに乗せて買い物に行く母親など、まさに私の子供の頃の北海道の生活を目にして、郷愁はあったのですが)。私にとってはヨーロッパよりも日本の内地の方が、ずっとエスニックだったのです。

 一方で、もともと特に期待していなかった東南アジアは、強烈なインパクトがありました。
 空港から市内まで乗ったバスの中で見にした、かぶりものをしたマレー人の女性、恰幅の良いインド人など、多種多様な人たち。一見怖そうだけど、実はみな気さくで親切。街にただよう独特の香辛料の匂い。ねっとりとした暑さ。ひさしのついた古い低層階の建物が立ち並ぶ、チャイナタウン。長年の風雨にさらされて汚れたショップハウス。うす暗く、何やら不思議な生活が営まれているらしい建物の中。この雰囲気に、日本とはまるで違う、「異国」を強烈に感じたものです。

 そのあと、夜行電車でたどり着いたバンコクのチャイナタウンの印象はより強烈でした。フアランポーンという中央駅から、チャイナタウンにある"July hotel"という、当時は有名だったバックパッカー宿まで歩いて行ったのですが、たった1−2Km歩いただけで、街の喧騒と勢い、排気ガス、そして強烈な暑さに圧倒され、すっかり疲れ果ててしまい、夕方まで身動きできなかった記憶があります(夜からは、さっそくホテルで知り合った若者たちと、夜の街の探検に出かけたのですが)。この何やら得体のしれないエネルギーがうずまくチャイナタウンは、その独特な魅力で、人が少なく静かな北海道で育った私を虜にしたのでした。


 それ以来、東南アジア、その中でも市内中心部にありもっともにぎやかなチャイナタウンは、私にとって、ずっと興味をひかれる対象でした。
 その後、出張や旅行で、シンガポール、マレーシア、タイといった東南アジアには何度となく出かけるようになり、中国語でのコミュニケーションもできるようになり、個人的な知り合いもずいぶんと増え、私にとって、もう東南アジアは外国とも思えない身近なエリアになりました。
 しかし、今でも「東南アジアのチャイナタウン」という言葉を聞けば、20年前に受けた強烈な印象と憧れを思い出すのです。



 この「池袋チャイナタウン」は、20年以上前に東南アジアのチャイナタウンをフィールド調査していた著者が、今回は何と研究の舞台を東京に移して書いた本、ということで、時代もずいぶん変わったな、という印象です。

 私は関西在住で、最近の東京のことはまったくわかりませんが、池袋の北口には、90年代から中国からの人(新華僑)が集まり、チャイナタウンが形成されてきているそうです。
 新大久保周辺に韓国系の店が集まっていることは知っていましたが、池袋に中国系の人が集まっているとは知りませんでした。


 80年代後半から留学や出稼ぎ目的で日本に入ってきた「新華僑」の人たちは、90年代から中国人向けの商売をやるようになり、それらが中国人向けスーパーなどを中心に地理的に集積するようになってきました。
 横浜や神戸に中華街をつくった古い華僑とくらべたときの彼らの特長は、日本だけでなく中国でも別なビジネスをしている人が多く、日本と中国を行ったり来たりしていくつもの商売を並行して行っていることです。常にリスクを考えて、もうからなくなれば、商売も場所も移していくスタンスです。
 また、儲かると見れば、多くの人がわっと参入して価格競争が過熱、そして儲からなくなると別な商売に移っていくという、中国大陸と同様の、食い散らかしビジネスが行われているようです。地域の商店会などとはまったく没交渉で、中国人の同業者とも連携することはないとのこと。


 最近は横浜の中華街にも、新華僑の人たちが進出し、今までの旧華僑から見るとルール無用の商売をしているそうです。価格破壊が進行するほか、街も汚くなっているとのこと。
 先日、神戸の南京街を歩いたのですが、神戸でもこの数年で新華僑の中華料理店がたくさん進出してきていて、老舗の広東料理系とは違う大陸の普通の中国料理がメニューに並んでいるのと、価格が大幅に下がっていることが目につきました。こうした動きは、東京では早くから起きていましたが、最近は日本全国にまで広がっているようで、あちこちに、新華僑による中国料理店を見かけます。
 私の住んでいる大津市でも、住宅地にそうした中国料理店があります。店の名前やメニューを見れば、昔ながらの日本化した中華料理店ではなく、最近大陸から来た人がやっているのだろうなということがわかります。


 ちなみに、池袋でも、商売としては、2007-8年ごろがピークで、その後、新規参入が増えすぎて、すでに儲からなくなってきているとのことです。今集まっている中国の人たちも、池袋では儲からないとなれば、さっとどこかへいなくなってしまうでしょう。そのフットワークの軽さが中国の人たちの特長なのです。

 池袋のチャイナタウンが、東南アジアやニューヨーク、ロンドンにあるような大きなチャイナタウンに育ち、地域に根付いていくのか、あるいは一時の灯として消えていくのか。私にはおそらく後者のような気がするのです。