「ウズべック・クロアチア・ケララ紀行」 加藤周一著 を読んで、今さらながら社会主義について考えてみる

 今では想像することも難しいですが、社会主義国が輝いて見えた50年代のお話です。

 私は、人種的にも文化的にもアジアとヨーロッパ・中東のボーダーにある「中央アジア」というエリアに興味があり、かねてから一度ウズベキスタンへは行ってみたいと思っていました。岩波新書の復刻版シリーズとしてこの本が本屋にならんでいたのを見て、当時のウズべクがどのようなところだった知りたいと思い、読んでみたものです。

 著者の加藤氏は、ソ連ウズベキスタン共和国、東欧のクロアチア、そして共産党が政権をとったインドのケララ州を訪問し、これら互いに毛色の異なる3つの社会主義国で感じたことをまとめています。
 当時は、まだ日本人が海外に出ることが難しかった時代です。ましてや社会主義国への訪問はさらに難しかったはずです。この本は、当時の日本人にとって、触れることの少なかったマイナーな社会主義国についての貴重な情報源になっていたことでしょう。

 この本を読んで感じるのは、全体のトーンとして、これら社会主義国に対して非常に好意的な視点をもって書かれているということです。20世紀に行われた社会主義の壮大な実験が、すでに失敗に終わったということが一般的な認識となっている現在とは異なり、当時は社会主義圏の国々がいちはやく経済成長を遂げ、自由主義圏における発展途上国との格差が明確に存在していた時代だったのでしょう。
 
 現在では、こうした社会主義に好意的な論調には違和感があり、非常に無邪気で青臭いものを感じるのですが、この当時においては、実に自然な発想だったのではないかと思われます。
 加藤氏が語っているように、インドから飛行機でウズベキスタンへ向かうと、荒々しい生の自然の姿だけが目につくパキスタンからアフガニスタンへかけての圧倒的な貧しい地域を越え、ウズベキスタンのエリアに入った途端、感慨が整備され青々とした農地と近代的な街区が視界に広がってくる。しかも、これらは革命後たった40年の間に建設されたもの。この厳然たる格差の事実を前にすれば、何者も社会主義の成果を疑うことはできないでしょう。

 著者は、この本の冒頭で、当時、社会主義がどう捉えられていたかをわかりやすく解説してくれています。


 第2次大戦後、社会主義に対する関心は、先進資本主義国では減退し、後進国・低開発国では高まった。

 資本主義国では中産階級は、、『共産党宣言』で書かれたように、資本家・労働者階級に吸収されるどころか、絶対的・相対的にふくれあがり、賃金の絶対的増加と国民所得の中でのわけまえの相対的増大を経験した。第二次大戦後は、恐慌を経験することもなく、特に敗戦国である西ドイツと日本の復興は目覚ましかった。

 一方で、低開発国では、国民所得の絶対量が小さいため、所得の分配を平均化するという手段で、貧困を解決することはできない。よって、国民所得の絶対量を大きくするため、まず工業化を進める必要が生じる。
 しかし、国民所得が低いという事実は、工業化の最大の障害となる。工業投資を行う資本が限られているためだ。しかも、自由主義国の民間資本は、需要が小さく不安定な低開発国へは流れない。
 さらに、社会構造と労働人口の性質も工業化の障害となっている。中産階級が成長していないため、官僚や技術者、専門家が不足し、文盲率も高い。
 また、政治家・官僚の腐敗という問題も、工業化の大きな障害である。
 このような行き詰まった状況において、工業化を進め、所得の絶対量を増大させるための有効な方法として、ソ連や中国における社会主義の成功例が魅力を持って映っているのだ。
 これは西欧の労働者階級において、共産主義が持っていた魅力とはまったく性質が違うものである。


 社会主義のメリットと言えば、短絡的に「社会の平等」ということが頭に浮かぶのですが、当時、発展途上国で重要だったのは、平等による富の分配よりも、富の絶対量を増やすことだったのです。富を増やすための手段として、資本主義よりも、社会主義が有効だったと言うことなのです。当たり前のことなのかも知れませんが、あらためてそういうことだったのかと腑に落ちた感じがしました。

 戦後、政治的に独立を果たしても、資本不足から工業化を進めることができず、停滞を続ける発展途上国を横目に、社会主義国は、計画経済のもと、国全体の限られた資本を重点的分野に集中的に投資することによって、工業化や国民の教育・福祉を進めていきました。50年代においては、両者には明確な格差があったようです。北朝鮮を例にとっても、70年代までは、南の韓国より生活が豊かなイメージがあり、日本からの帰国事業も盛んだったのです。

 しかし、その後60年代に入ると、朴正キが軍事革命を起こした韓国や、リー・クァンユーが率いるシンガポールは、資本主義国家でありながら、社会主義国の成功例を真似た計画経済をとりいれ、国家レベルのでの資本の重点投資を行い、工業化やインフラ整備に重点投資を行います。それにより、停滞の悪循環を打ち破り、70年代には、一気に富の絶対量を増大させることができました。この方法論は「開発独裁」と呼ばれるようになります。ちなみに、韓国においては、停滞を断ち切るための突破口として活用された資本は、日本からの賠償金でした。

 また、80年代中盤のプラザ合意以降は、先進国との人件費の格差が広がり、東南アジアや中国には、先進国の資本が大量に流入するようになります。現在では、政治的に安定してさえすれば、人件費の安い低開発国には、安い人件費を志向するタイプの工業を誘致するチャンスが多くあります。東南アジアや、資本主義化した中国は、そうして海外から資本を引き寄せ、80年代から90年代へかけ、富の絶対量を増やすことに成功してきました。

 もともと社会主義と資本主義では、資本の効率的な活用、という点では、根本的な差があります。資本主義国においては、資本が効率的に活用されることに対し自動的にインセンティブが働くような仕掛けとなっているのに対して、社会主義国においては、誰かが人為的にすべての経営判断を行っていかなり限り、自律的にものごとが進むことはありません。しかし、人間は万能ではありません。すべての経済活動・人間の活動を誰かが最適に判断することなど、もとから不可能なのです。
 よって、社会がまだ原始的な状態にあり、誰が考えても、優先的に取り組むべき、優先的に投資すべき対象が明確な場合においては、国家レベルで有無を言わさずすばやく資本を集中投下できる社会主義国が有利になります。しかし、社会が複雑化して変化が速くなり、経営判断が単純にはできなくなってくると、人間がひとつひとつ計画をたてて実行して行くという社会主義のやり方では課題が大きくなってくるのです。

 このように、低開発国の発展という歴史の過程の中では、社会主義のやり方が有効な局面が一時期あったものの、資本主義国がその強みを学び、「開発独裁」という計画経済と自由経済の強みをハイブリッドさせた方法論を打ちたててしまうと、社会主義独特の強みは持ち味を失い、社会主義国はその歴史的な役割を終えてしまったのでした。
 以上を整理のために、表にまとめてみました。


 現在では、いまさら社会主義を目指そうという人は、余程の変わりもので、一般的にはソ連の崩壊によって、社会主義は失敗が証明された、初めから間違いだった、と見られていると思います。しかし、社会主義は本当に失敗だったのでしょうか。
 社会主義の基本的な考え方である、計画に基づく経済は、開発独裁に見られるように、日本も含め多くの資本主義で実行されていますし、富の再分配も多くの資本主義国ではマルクスの時代とは比べ物にならないほど実現されています。
 こうした変化は、先進資本主義国においては、歴史における社会の進化としてステップバイステップで実現できてきたわけであり、あえて社会主義革命を行う必要はありませんでした。
 しかし、発展途上国では、そういうわけにはいきませんでした。発展途上国が、貧富の差と、絶対的な資本の不足、腐敗した政治・官僚、伝統的な既得権によるしがらみ、などを克服し、国レベルでの大胆なアクションを実現するためには、世の中をひっくり返す必要があります。しかし、そのためには、人々を動かし後押しするための理論的根拠のサポートが必要でした。「社会主義」はそのために活用されたのです。社会主義という理論体系があり、それをグローバルに推進していくソ連という主体があったことにより、多くの発展途上国は、富の増大への第一ステップに踏み出すことはできたのです。よって、富の絶対量をある程度まで増大することができた時点で、その歴史的使命を終えたからといって、社会主義が失敗だったと言いきることは乱暴だと思うのです。