「たかじんのそこまで言って委員会」 靖国問題は、日本が先の大戦の総括をしない限り片付かない

 日曜日は、テレビで、「たかじんのそこまで言って委員会」という番組をだらだらと見ていることが多いのですが、今日は番外編で「たかじんのいつまでも反中で委員会」という特番を時間を延長してやっていました。
 基本的に娯楽番組ですので、視聴率が上がるように、面白おかしく議論をあおっているのですが、番組を見た人が、印象的なパートだけを断片的に見て、誤解を深めてしまうこともありうるだろうなと思います。
 政治的なトピックは、部分的な話だけをすると、枝葉の部分だけがクローズアップされて誤解を招きやすいですし、一方で全体像を話そうとすると非常に時間がかかるということで、私は普段は触れないようにしているテーマです。ですが、いつかは考えを整理しておきたいと思っていますので、今日は少し書いてみたいと思います。

靖国参拝問題は、日本が太平洋戦争の総括をしない限り片付かない。

 三宅久之氏が、靖国神社に行き、国のために亡くなった若い兵士のことを想い涙を流すというシーンがありました。そこで三宅氏は、「国のために戦って亡くなった彼らがあるから、今の日本がある」ということを語っていましたが、どうも腑に落ちません。
 国のために亡くなった兵士を悼むのは当然のことでしょう。多くの兵士は、好むと好まざるにかかわらず、国のため、国が戦争に勝つために、捨て石として亡くなっていったわけですから、彼らを国として悼むことは当然なことです。
 しかし、彼らの死があったから今の日本がある、という発想は、どういうロジックなのか理解できません。戦争で勝って今の日本があるのならわかりますが、戦争に負けて、実際はすべて無駄になって、戦後は180度方向転換し、実質的に敵国であったアメリカの属国になったにもかかわらず、どうして「彼らの死があったから今の日本がある」という考えになるのでしょう?
 あえて逆説的に考えるならば、「戦争をとことんやって、いやというほど人も死んだから、戦後の日本はもう戦争をやろうという気はなくなり、結果的に、戦後は他の国のような徴兵制もなく、平和な日々を続けることができた」ということでしょうか? 三宅氏がそう考えていたとは思いにくいのですが。

 先の戦争については、国としての公式な見解と、国民の心情が噛み合っていないため、皆が(国を代表する政治家であっても)さまざまな見解や考え方を好きに言いあえる状態になっています。
 まず必要なことは、先の戦争は日本にとっていったい何だったのか?について、「総括」を行い、国としての公式な態度を固めておくことだと考えます。

 現時点での公式見解は、極東軍事裁判の判決のみだと思います。しかし、大多数の日本人は、極東軍事裁判は、戦勝国が自分の論理で負けた国を一方的に裁いた、復讐のための儀式だと捉えていると思います。一体誰が「A級戦犯」で、誰が「B級戦犯」なのか、その線引きなど、状況をよくわかっていない連合国の判事が、限られた情報のみで、政治的に決めたとしか思えません。それでは、日本はそれに代わる見解を打ち出しているのかと言うと、それも無いのです。日本人は、基本的に日本の中で、日本人同士でごちゃごちゃ言っているだけなのですが、それが国外に対する発言にもちょこちょこ顔を出してくる。断片的な話だけで全体像が示せないから、外からは何を言っているのやらわけがわからない。既に決まっている公式見解に対して、後からごちゃごちゃ言っているという卑怯な印象しか与えられないわけです。

 戦争の総括において、まず必要なのは、戦争を二つのパートに分けて考えることだと思います。

 一つは、英・米・仏・蘭等欧米諸国との戦争。この戦争は、世界の覇権をめぐる戦いであり、どちらかが侵略した、しない、とかいう次元の問題ではないと思います。この戦争において日本は、東アジア・西太平洋地域における日本の覇権を守るために、英・米とガチンコ勝負をしたわけです。
 勝負をしなければならなかった原因には、欧米先進国と日本との間に、覇権争いのルールに対する感覚のギャップがあったと思います。日本は明治維新後、19世紀の荒々しい帝国主義を身をもって学び、その世界に自らを高く位置づけようと努力してきた。しかし、日本がやっと第一次大戦後、「5大国」などと言われるようになった時には、世界の雰囲気はすでに変化していた。国をあげての総力戦となった第一次世界大戦での、あまりに大きな損害の事実を目にして、欧米の先進国は、荒々しく自己主張する帝国主義の時代から、戦争を避けるため国際協調を求める新たな時代に入っていた。しかし、一方の日本はやっと大国として認められ、これから帝国主義の権力を存分にふるおうとしていた。そこに、感覚のズレが生じていたと思います。ちなみに、今まさにこれと同じような状況が、台頭する中国と国際社会との間においても起こっています。
 このように、日本が国際社会において時代遅れの感覚で行動したために、他国からよってたかってつぶされた、というような背景はあるにせよ、戦争の直接的なきっかけは、資源を止められた日本が、国を維持するためだったのであり、日本から見れば自衛のための戦争というファクターは大きいと思います。

 もう一つの戦いは、大陸における中国との戦争です。
 大陸における戦争の発端は、もともとロシアという脅威への対応がスタートのはずです。ロシアという強国に対する防衛上の必要性上、日本へ伸びる匕首である朝鮮半島からロシアを排除するすることからスタートし、それが大陸におけるロシアとの覇権争いへと進展し、日露戦争後は、緩衝地帯としての満州国を建国するに及んで、いったんロシアの脅威への手は打たれていたはずです。
 しかし、日本は、なぜかそこからさらに中国に侵攻していく。それも、華北における満州国境地帯安定のための紛争や、租界地区での欧米諸国との権益争いならわかりますが、わざわざ大した敵軍もいない中国の奥深くまで侵攻していく。当時は国民党政府においても、日本がなぜわざわざ中国に侵攻してくるのか、その目的がわからなかったと言われています。
 こちらの戦争はどう考えても侵略でしょう。当時の中国は、東アジアに覇権をとなえようとしていたわけではありません。日本が一方的に侵略したといわれて仕方がない。
 ちなみに、これ以外のアジア諸国に対しては、フィリピンやベトナムビルマのように国が戦場になり巻き込まれた国はありますが、それらの国を日本が侵略しに行ったわけではありません。

 極東軍事裁判では、A級戦犯20数名が「1928年から1945年まで一貫して世界支配の陰謀のため共同謀議した」とされているそうですが、そんなことがナンセンスであることはほとんどの日本人が知っています。
 それではなぜそれを自らの手で正さないのか?
 今まで日本政府はあえてそこに蓋をしてきたのです。この問題を自らの手で裁くことは、国内に大きな議論を引き起こすことになります。そこでは「天皇の戦争責任」は避けて通れない重要なテーマになります。戦後に何食わぬ顔をして重要な役職についている、多くの人々の責任をほじくり返すことにもなる。
 極東軍事裁判A級戦犯を決めてくれたおかげで、「ナチ」に一方的に戦争責任を集中させるという詭弁を使ったドイツと同様に、日本でも戦争責任をA級戦犯だけに負わせて、今まで天皇や一般国民の責任を不問にすることができたのです。
 しかしその建前から言うと、靖国神社A級戦犯を奉ることは、「ナチ」のような戦争犯罪責任者を奉ることになってしまう。
 一方で、日本人は、A級戦犯など茶番であり、戦争責任問題をとりあえずやりすごすための建前だと考えている。
 そこに外国からは理解できない、ロジックの矛盾があるわけです。

 しかし、これらを総括しないことには、いつまでも先の戦争について、噛み合わない議論が続き、外国からは言われっぱなしの状態が続くだけです。
 昨今では、日本人がもともと持っていた、道徳や「公」の意識などの良さを取り戻さなければいけない、戦後のアメリカ主導の愚民化政策を脱すべき、などの論調が多くなっています。また、国歌や国旗の件もずっと問題のままになっています。
 そのためには、ごちゃごちゃ言わず、まず日本人自らの手で、戦争を総括することです。これが、日本という国がもともと持っていた強みをとり戻し、同時に周りの国とも親善を図っていくための第一歩だと思うのです。


 まだ書こうと思っていたトピックがあったのですが、いったんここで時間切れとなってしまいました。