「韓国の徴兵制 兵役経験者が吐露した真実」 康煕奉著 を読んで、日本の徴兵制を考える

 現代の日本にいるとその存在すら意識されることがないにもかかわらず、他国の若者にとっては決して忘れることが許されない重い存在、それが「徴兵制」でしょう。

 著者は、「ヨンス」と「ソンウ」という二人の相反するキャラクターに生々しい体験談を語らせることによって、韓国人にとって、徴兵制とはいったい何なのか、をわかりやすく紹介しています。


 私は日本では、他の若者と同じように、徴兵などまったく意識したことのない日々を過ごしていました。高校卒業時に、防衛大学に入学しようか迷ったことはありましたが、噂で聞く訓練の厳しさと、入寮案内の持ち物制限の厳しさを見て、軟弱物の私は、安易な一般大学に逃げてしまいました(今では若干後悔していますが)。
 徴兵など他人ごとでしかなかったそんな自分にとっても、韓国の学生と一緒に過ごした留学時代には、彼らが心の中に抱えている「徴兵」というものの重さを、いやというほど感じさせられたものです。

 韓国では大学2年を終わって、徴兵に行くパターンが一番多かったので、大学1〜2年の学生にとっては、日々着実に近づいてくる「入隊」という重荷が、どうしようもない憂鬱のタネになっていました。 

 当時、私の周りの学生が軍隊に行くパターンとしては、以下のいくつかのコースがありました。

○「現役」 普通の徴兵です。家を離れ、2-3年の期間を過ごします。

○「防衛軍」 何らかの事情で、「現役」にならなかった人の代替コースで、1年間だけ、自宅から通勤します。「戦争になっても、5時になったら家に帰る」と冗談で言われていました。

○「カチューシャ」 米軍で働く韓国人部隊。米軍の待遇になるので、新兵イジメの韓国軍とは大違いですが、英語力が必須なので、この部隊に入るために、みな必至で英語を勉強しました。競争率は非常に高いようです。

○「ROTC」 普通の大学に通いながらの士官候補生。大学時代に毎週訓練を受け、軍隊に入ると、2等兵からではなく、いきなり士官になります。ただし、兵役の期間は現役よりも長いため、期間と厳しさ、どちらを選ぶか、の選択になります。

 私の周りの学生を見ると、ソウルに家があり、ある程度お金のある生活をしている人たちは、「現役」に行く人は少なく、「防衛軍」が一番多かったように思います。一方で田舎から出てきて一緒に下宿していた地方出身者達はほとんどが「現役」になっていました。韓国のコネ社会が表れていた例だと思います。


 韓国の学生たちが徴兵を嫌がっていた理由には、2-3年間も家や友人や勉強を離れなければいけない、ということもありますが、やはり韓国軍の兵隊への非人間的な扱いがあったと思います。軍隊というもの自体が、もともと非人間的な組織であるのは確かでしょうが、その中でも韓国軍は世界有数であるようです。「気合」(キハップ)などという言葉が残っているように、 新兵イジメ、制裁など、旧日本軍の悪い面がそのまま継承されてきています。韓国軍は、第2次大戦後、米軍のスタイルをもとに作られたはずなのですが、仕組みはアメリカ式でも、その中の人間は日本の教育を受けていた人たちが中心だったためでしょう。
 同じ徴兵制のある国でも、台湾や、シンガポールではこうした自殺者が出るほどの新兵イジメの話は聞きませんので、どうも、日本→韓国、というラインだけが世界では特殊な系統になるようです。
 日本ではすでに死滅してしまった、こうした旧日本軍の「負」の伝統が、その後韓国軍に受け継がれ、いまだに存続しているというのは興味深いところです。とは言え、さすがに昨今はこうした伝統も薄れてきているのでしょうが。



 韓国は激しい学生運動が有名でしたが、若者をこうした活動に追い込んでいくにも、「徴兵制」の存在が大きく働いていると思います。徴兵制によって、若者は、世の中に無関心であることが許されず、国や世界の現実に否応なく、強制的に向き合わせられることになります。

 軍隊に行きたくない。
 ↓
 自分はなぜ軍隊に行かねばならないのか?
 ↓ 
 朝鮮半島が南北に分かれ、いまだに戦争が終結していないから。
 ↓ 
 なぜ、戦争を終結できないのか? 
 ↓ 
 政府やアメリカが北朝鮮との和平政策を進めていないから。。。。。

 こうしたことを、他人ごとではなく、もうすぐ軍隊に送られてしまう自分の、身に差し迫ったこととして考えていくうちに、政治意識が目覚め、学生運動に真剣になっていくわけです。日本のように、若者が世の中と無関係でも生きていける状況とはまるで違うのです。


 同じことは、60年代のアメリカでも起きていたはずです。徴兵制があった当時のアメリカにおいて、「自分はベトナム戦争に行きたくない」「意義のわからない戦争で死にたくない」、という切羽詰まった想いが、反戦運動になり、ウッドストックになったわけです。単なる流行だけであれば、そこまでの強い運動にはならなかったでしょう。よって、ベトナムからの撤退が決まり、徴兵制が終われば、反戦運動はすっと消えてしまったのです。
 当時は日本でも反戦運動があったそうですが、自分が戦争で戦う当事者ではない以上、その迫力はまるで違うものだったと思います。


 現代の日本では、すでに「徴兵制」など非現実的に思えるようになっていますが、一方で世界で見れば、徴兵制を維持している国は多くあります。日本は戦後、「平和憲法」のもとで、徴兵制を復活させることもなく、平和な日々を謳歌してきたわけですが、戦後の冷戦体制も崩れ、先が不透明になってきた今、これからどうしていくべきなのでしょう?
 軍隊がハイテク化し、兵隊にオペレーターとしての専門技術やスキルが要求されるようになっている現代では、徴兵で非熟練工を取り込んでも戦力にならない、という意見も多いですが、一方で、地震災害への対応でわかるように、とにかく現場で残骸をほじくり返す地上軍の頭数が必要な状況もあります。
 私が、今回の地震への対応を見て感じるのは、「自衛隊」であろうと、「軍隊」であろうと、定義は何でもいいのですが、やはりより規模の大きい軍隊的組織は必要ではないかということです。対外的な防衛のためだけでなく、国内外の災害対応、あるいは他国の平和維持などのための組織は現実的に必要であり、現実的に必要的である故に、その組織にはより大きな機能と地位を与えられていなければいけない、ということです。


 また、日本と言う国を考えた時、戦前の極端な軍国主義の反動として、戦後は極端な平和主義が一世を風靡したわけではありますが、そろそろバランスを取るべき時に来ているように感じます。戦前のやり方をとことん否定した戦後の平和主義・個人主義の結果として、日本における「国」というものの存在がふにゃふにゃになってきています。小林よりのり氏が言うところの「公」の意識が欠落しているという課題です(私は、小林よしのり氏の論調の殆んどには反対なのですが)。

 一方で、今回の地震対応でも、自衛隊の人たちは、手足を縛られたような理不尽な組織にいても、使命感を持って活動している人が多いようです。 
 ちょっと美化されていますが、こんな記事がありました↓
 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5688

 また、ボランティアに参加を希望する者も多くいるようです。
 いろいろな背景をもち、ふだん「公」のことなど考えることもない若者たちが、そのシチュエーションになれば、使命感を持って活動する、ここに大きなヒントがあるような気がします。 
 今の日本は、戦後の極端な個人主義の風潮を経て、反対に「公」に飢えてきているのではないか、と感じることがあります。このベクトルを活かす受け皿が必要になってきているのではないのでしょうか?


 こう考えると、徴兵制のように、日本でも若者が「公」のために活動する一定の期間を設けることは有効なアイデアではないだろうか、と思います。それは、軍隊であるとは限らない。災害救助や、社会弱者の支援であったり、「公」のための活動であればよい。

 もともと大人になる前に若者が集団で生活する「若者組」などの習慣は、日本に伝統的にあったものです。若者が、自分たちがやらずに誰がやる、という自負で、年寄りたちにはできない、危険だったり力のいる仕事を引きうけ、子供たちはそうした格好いい若者組に憧れる。これは昔から伝統的にあった自然な姿でしょう。勿論、ここに旧日本軍特有のイジメや制裁などが入り込んではいけないことは言うまでもありません。

 高齢化社会が進む中、若者のポジションがなくなってきている現代の日本において、徴兵制の進化形としての「若者組」の復活は有効ではないかと思うのですがどうでしょうか?