「日韓インテリジェンス戦争」 町田貢著を読む

 ここのところ韓国関連の本が続いています。
 いつも出かける大阪ジュンク堂の新刊コーナーに並んでいた本です。昨日の夜にいっきに読みました。

 著者は、天理の韓国語専攻から外務省に入省し、60年代初から50年あまり韓国・朝鮮を専門に扱ってきたという、日韓関係における歴史の生き証人のような方です。
 本のタイトルは「インテリジェンス戦争」などという刺激的な文句がつけられていますが、内容はむしろ個人の「回想録」というようなものです。現在とは隔世の感がある、60年代から80年代当時の激動する韓国の状況を、自らが体験した具体的なエピソードでもって語っていきますので、非常に興味深く読むことができました。


 本の前半には著者が関与した「情報活動」について語られています。「情報活動=インテリジェンス」というと「スパイ活動」のように思えるのですが、この本を読む限り、著者が行ってきた活動は、我々がイメージしている「スパイ」というよりは、スクープを狙う新聞記者の仕事に近かったようです。実際に、新聞記者と外務省が、情報を求めて同じような活動を重複して行っていたそうですし、またその手法も似たり寄っただったようです。人間関係のネットワークを広げて、多くの人に会って情報を聞き出す − 基本的にはそれだけであり、盗聴したり、ハニートラップをしかけたり、といったダイナミックで非日常的な話は出てきません。勿論、そんな話はたとえやっていたとしても、この本には書けないのでしょう。
 また、使える予算も少なく、食事代も毎回事前決裁が必要とのことで、実際は個人での持ち出しが多かった、など理不尽な現実も書かれています。ジェームズ・ボンドが、毎回のディナーの事前決裁書を書いて、上司である「M」の承認を貰っている姿は想像できません。


 本の中盤は、「金大中氏」にまつわる愛憎入り混じったエピソードです。著者は、73年以来、反体制政治家として活動していた金大中氏の自宅を訪ねて面会を繰り返し、長期間交流を続けてきました。両者の会談は、日本大使館にとって反体制派のトップについての情報を得られるというだけでなく、国内での自由な活動が許されていなかった金大中氏にとっても、外の情報を入手する良い機会だったのです。
 著者は金大中氏が大統領となるまで、継続して交流を持ち、時には意見をするほどの関係になっていましたが、大統領となった途端、面会を拒否されるようになります。著者がちょうどそのタイミングで、外務省を退職し、一民間人になってしまったという背景があるのですが、著者にとっては、「命を懸けて働いてきた同士」だと考えていたのに、結局、人間同士のつきあいではなかったのか、と思わざるを得ず、大きく失望させられたのでした。
 
 著者はこの件に関して、恨みを綴っていますが、金大中氏にとっては、大統領になった以上、過去のつきあいは断ち切っていかないとキリがない、という事情もあったのではないかと思います。
 韓国の政治は、基本的にいつも自分の周辺の人たちに役得を与える風土がとりわけ強いようです。誰かが大統領になれば、その家族や周辺の人たちに権益が集中し、途端に羽振りがよくなる。その反対に、失脚すれば、その周辺の人たちは不正や汚職収賄などを追求され監獄行きとなる。歴史上、今までひたすらそれを繰り返してきています。しかし、韓国の社会風土の中では、ヤバイとはわかっていても、それを行わないことは難しい。キチンと役得を与えないと、「情が薄い」とみなされ、人間の価値を否定されてしまうのです。つまり、伝統的な世の中の価値観と、海外から移植された現代の世の中の仕組みとの間に根本的な矛盾を抱えているのだと思います。


 また、この回想録を読んで感じるのは、その道一筋の「職人」の世界というのは良いなあ、ということです。著者自身が、自分はサラリーマンではなく、「職人」である、と語っていますが、まさにその通りだと思います。全体を見ながらマネージメントを行っていくのではなく、周りを気にせずひたすらぐいぐい一つの分野をつきつめていく、こうした仕事が出来ることを羨ましく感じます。
 これはどこの世界でも同じで、そうしたくてもできないからこそ、映画やドラマでも、こうした職人的なキャラクターが人気を呼ぶのだと思います。刑事モノなら、組織に反抗して犯人を追いつめる「ダーティーハリー」。「踊る大捜査線」もそうでしょうか。

 私の場合、学生時代は韓国語をやっていながら、会社に入ってから中国要員になってしまい、今はなぜか欧州担当、と、一つの専門地域をつきつめることができていません。学生時代には少しは自信のあった韓国語も今ではまったく話せなくなっています。今、欧州の商売で使っている英語も、TOEIC 900そこそこのレベルでは、イギリスの一般人とコミュニケーションするにはまるで足りません。すべて中途半端になってしまっています。
 この本の著者のように、ずっと韓国関係を突き詰めていったら、ひょっとしてその世界の職人としてもっと活躍ができたかも、と、著者を羨ましく感じている今日この頃です。