「さよなら!僕のソニー」 立石泰則著 を読む

 先週末に読んだ本です。近所の本屋で見つけて、週末の間に一気に読んでしまいました。

  ソニーについては、今まで何度か、本を読んでは駄文を書いてきました。
 「ソニー VS サムスン」 張世進著    http://d.hatena.ne.jp/santosh/20100405/1270483693
 「されど、愛しきソニー」 蓑宮武夫著  http://d.hatena.ne.jp/santosh/20100124/1264280572
 最近は、ソニーを辞められた人が、かつて働いていたソニーを批判している本もよく出ています。
 昨今のソニー不振の理由について、何か新しいネタが紹介されていないかと期待して読んでみました。



 私が子供のころ、「ソニー」は、特別なブランドでした。
 シャープやサンヨー、パナソニックといったブランドとくらべてソニーの商品は値段こそ高かったのですが、見た目もクールで、大衆に媚びない大人の匂いがしました。


  

 中学生のときに買ってもらったのが、"ICF-2001"というBCL用(海外のラジオを聴く人用の)ラジオです。当時、私は海外のラジオを聞くのが好きで、ラジカセについていたシンプルな短波ラジオで韓国や台湾からの日本語放送をよく聞いていたのです。

 このラジオは実に革新的で、今までのようにダイヤルを回して選局するのではなく、10キーのキーボードで周波数をそのままデジタルに打ち込む、という当時ではぶっとんだ方式を採用していました。デザインもいかにもクールなハイテクガジェットという感じで、しばらくこのラジオは私の宝物になっていたものです。
 そのうちに壊れて動かなくなり、10数年前にゴミとして捨ててしまったのですが、今でもオークションに出せば結構いい値がつくようです。


 PLLシンセサイザー方式という新しい(今では当たり前になっている)技術をこのグレードの商品にいち早く採用したこと、大きなダイヤルがアイコンだったそれまでのラジオの概念を打ち破り、たとえ一部の人には使いにくいと思われようと、大胆にも操作方法をデジタルキーのみに変えてしまったこと。その後携帯電話など次代の製品群がみなこの方向に進化してきたことを考えると、そこには確固たる技術をベースにして、時代に先んじて新コンセプトを打ち出す、大胆な製品イノベーションがあります。
 このラジオのように、"SONY"とは、技術的にスゴくて、デザインもクールな、革新的な商品を意味するブランドだったのでした。


 しかし、今のソニーには、すでにそのイメージはありません。昔のように、ソニー商品とほかのブランドの商品との間に、はっきりとした違いがあるわけではなく、商品を見る限りソニーもシャープもパナソニックもみな横並びで似たり寄ったりのように感じられます。

 ソニーはいったいどうしてしまったのでしょうか?


 この本にはその答えの一端となるエピソードが紹介されています。


 
 ストリンガー氏は、2009年1月のCESにてこうスピーチした。
 「消費者は、どこのメーカーの製品であっても同じサービスが受けられる。つまり(製品に)互換性があることを期待しています。ですから、私たちはオープンテクノロジー(標準規格)を支持します。消費者は、製品の価値をネットワーク上のサービスとコンテンツによるユーザー体験のクオリティに基づいて評価します」

 オープンテクノロジーとは、誰にでも製品が作れるようにすることである。つまり、ストリンガー氏は独自技術にこだわった製品開発を否定したのである。「技術のソニー」を拒否し、製品開発や製品そのものに価値を認めないというのだ。
 ストリンガー氏にとって、テレビをはじめ家電製品は「端末」に過ぎず、インターネットなどネットワークに繋ぐことでもたらされるサービスやコンテンツの価値こそが重要で、それらが「端末」に価値を与えるものなのである。それゆえ彼は、標準化され、使いやすく手頃な価格であることが、ソニー製品に第一義的に求められていると考える。
 つまりは、自社の端末が満足のいくものでなければ、他社から購入すればいいという考えになる。極論すれば、ネットワークに繋がる製品なら何もソニー製品にこだわる必要はなく、パナソニックでもシャープでもどのメーカーの製品でもいい。


 このエピソードは、最近のソニーの迷走の原因を、典型的に示していると思います。
 かつてのソニーのブランドとは、「技術力」に裏付けられたものでした。ビジネスとして大きく成功をおさめることができたのは、デザインやマーケティングが揃ったからこそですが、その核には「モルモット」になろうとも常に違ったことに挑戦する「ものづくり」へのこだわりがあったのです。しかし、ストリンガー体制のソニーは、かつてソニーの競争力のコアだった、技術力に裏付けされたものづくりへのこだわりを捨て去り、サービスやコンテンツによる顧客の経験において価値の差を出そうとしているのです。
 

 この本には以下のエピソードも紹介されています。もとソニー技術者のコメントです。

 
 「あえて言うなら、『ソニースピリットは、井深さんの無理難題の産物だ』と言いたい。だって、井深さんに無理難題を強いられながら、必死になってやっと完成させて発売したら、お客さんは『まさに、ソニースピリットを体現したような商品だ』なんて言うでしょう。でも我々にすれば、みなさんはソニースピリットと言われますが、本当に井深さんの無理難題の産物以外の何物でもないです」
 


 技術や商品企画で差別化し、イノベーションをおこしていくには、キチガイのようにとことん商品にこだわる強力なリーダーが必要です。松下幸之助氏も、イメージ的には「商人」のように思われていますが、商品にはとことんこだわり、新製品は自ら詳細までチェックして指示をしていたそうです。ソニーは、どちらかというとものづくりというより、マーケティングとデザイン主導のようなイメージを持っていたのですが、このエピソードを読むと、やはり井深氏という、とことん商品にこだわり、無理難題を言いながら人を動かしていった強力なリーダーがいたのでした。ソニーのブランドとは、こうしたこだわりとあくなき追求(と追及)によって養われた技術力がベースになって築き上げてられてきたのです。


 多くの日本企業は、技術力を磨き、製品の性能を上げ、コストを下げれば競争に勝てるという、高度成長時代の勝ちパターンに最適化した組織・プロセスを作り上げてきたがために、「ビジネスモデル」のイノベーションや、商品の「意味的価値」がポイントとなる現代の市場競争には適応できなくなっています。
 それに反してソニーは、自らの強みであるものづくりをあえて軽視し、いまだビジネスモデルを描けていないネットワークビジネスに賭け、結果として衰退しつつあるという珍しい例です。
 いずれにせよ、ソニーはその成長期にほかの日本企業とは異なるアプローチで成功してきただけではなく、その衰退期においても独自のパターンをとっていることだけは確かです。これぞソニーの面目躍如といったところでしょうか。


 最近、そろそろスマートフォンの時代だと思い、iPhone 4Sを買いました。アメリカでつくられたガジェットは日本人の感覚では使いにくいのではないかと思っていたのですが、予想以上にフィーリングがよく驚いています。革新的なタッチキーだけでの操作、クリアで美しい画面、シンプルでクールなデザインと、手に触ったときのハイグレードな質感。iPhoneを触ってみて、ボタンひとつ、フォントの細部までこだわってつくった商品だということがあらためてよくわかります。

 これぞ、30年前のソニー "ICF-2001"にあったイノベーションそのものです。

 ストリンガー氏が価値を認めなかったソニーのものづくりの遺伝子は、ソニーではなく、アップルの商品にしっかりと受け継がれているのです。