「価値づくり経営の論理」 延岡健太郎著 を読む

 ひさびさにビジネス関連の本です。

 この本の著者の延岡先生には、今からちょうど10年前、会社の社内研修の講師として、数か月間にわたり指導をして頂いたことがあります。
 当時の私は、まだイチ営業・マーケティング担当者として、自分の商品を自分の市場でどう売るか、という視点しか持っていませんでした。もともと「経営」に興味があったわけではありませんし、MBAって何のこと?という感じで、まさかその後自分が中小企業診断士になろうなどとは夢にも思っていなかったのでした。
 延岡先生の研修では、普段我々が直面している状況を、広い視点から整理・分析して頂き、まさに目から鱗が落ちた感じがしたものです。特に、「2×2」の象限図で、物事を切れ味よく切り分けていかれるのにはいたく感心しました。もともとメーカーでの仕事の経験があり、製造業をメインのフィールドにされているので、単なる学問のお話ではなく、我々が直面している実際の仕事に直結した話、として受け取ることができました。
 その後、いろいろなことを考えていくにあたって、当時、延岡先生に教えて頂いたことが、大きなきっかけになっていると言えます。


 さて、この本は、延岡先生の新刊と言うことで、本屋で見つけてすぐに買ってきました。この10年の間で日本の製造業を巡る環境は大きく変わってきましたが、こうした現状を、学者の人たちはどう解釈・分析し、どのような処方箋を提示しようとしていのか、非常に興味がありました。
 10年前の当時、延岡先生のお話は、モノづくりにおける「モジュール型」と「すり合わせ型」、また組織としてコアになる技術をどう蓄積・発展させるか、といった話が中心だったと思うのですが、この本ではこれに加えて「価値づくり」というテーマがハイライトされています。
 今から考えると、10年前時点では、「価値づくり」の重要性は今ほど差し迫って認識されていはいませんでした。アップルはI-PODが成功したとは言え、一人勝ちはまだ先の話ですし、サムスンの台頭もまだなく、日本メーカーは、機能的価値を中心とした今までの価値づくり戦略に疑問を感じてはいませんでした。当時、課題になっていたのは、台頭する韓国や中国メーカーの破壊的なコスト力に対してどう対応するかであり、「すり合わせ型 VSモジュール型」という切り口はまさに当時のホットトピックだったと思います。
 しかし、その後、日本メーカーの衰退、韓国メーカーの大躍進、アップルの一人勝ち、EMSの巨大化、という状況の中で、我々がいま感じているのは、モジュール型だろうと、すり合わせ型であろうと、どうしたって製造業では勝てやしない、という無力感です。勝敗の決め手は、「技術」や「ものづくり」ではなく、もっと他にあるらしい。それが「価値づくり」です。しかし、「価値づくり」はあまりに漠然としています。スペックで表現される「機能的価値」に対して、お客様の主観的な価値である「意味的価値」を高める、と言われても、いったいどうしたらいいのかわからない。そこに切り込んだのがこの本なのです。



 本の内容を紹介し出すと、なかなか興味深い内容が多くキリがありませんので、結論パートと思われる点を、自分の整理がてらチャート2枚で書いておきます。

 まず、この表。

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・ものづくりではもう儲からないから、「ものづくり」から「価値づくり」へ変換しろ、と言っているわけではない。
 ものづくりの重要性は低下しているわけではなく、日本企業の強みであるものづくりをさらに強化しながら、価値づくりも重視しろ、ということ。
 モジュール化やファブレス化、水平分業、オープンイノベーションなどという流行に乗って、ものづくりを安易に外部依存すると、致命的に強みを失ってしまう。


・価値づくりのためには、ものづくりを極限まで追求することが「必要条件」。しかし、それは価値づくりができる「十分条件」ではない。
 意味的価値を創出するためには、積み重ね技術を活用し、すり合わせ型商品のメリットを活かすことが重要。
 一方で、モジュラー型の商品で、革新的技術を開発するだけでは、機能的価値しか海させないことが多い。このやり方では、日本企業が競争力を持つことは難しい。

 つまり、
 「積み重ね技術=すり合わせ型=意味的価値」
 「革新技術=モジュラー型=機能的価値」
 というパターンの相性がよいのであり、日本企業が目指すのは、
「積み重ね技術=すり合わせ型=意味的価値」の方向だろう。


・価値づくりのためには、単発の新技術開発ではなく、特定分野での強みを長期間にわたってブレなく鍛え続けることが必要。単発の革新的技術開発では、すぐに真似されて強みを失うことになる。競合他社がまねできないのは、時間をかけて積み重ねた「組織能力」だけ。



 それでは、どうやって価値づくり重視へ移行していけいいのか?
 そのためには2つのアプローチがある。

・タイプ1: 
 日本企業が得意な積み重ね技術や組織能力を最大限に活用して、まず商品機能や品質などの機能的価値を高める(左下から右下のセルへ移行)。
 普通の企業はここで終わってしまい、結果、ガラパゴス化してしまうことが多いが、ここから機能的価値の優位性を基盤に、意味的価値を作り出す(右上のセルへ移行)。
 自動車やデジカメなどに、このパターンの事例がある。
 北米の自動車では、小型で品質と燃費のよい日本車に、知的なイメージを意味づけすることに成功している。


・タイプ2:
 新技術によって生み出した機能的価値から意味的価値を創り出し、その後、徐々に積み上げ技術・組織能力を蓄積して行き、他社にまねできない強みとする(左上から右上へ移行)。
 アップルがこのパターン。
 80年代に開発したマックは、マウスでのクリックなど革新的なインターフェースで多くのファンを生んだが、その後も、インターフェースに関する技術的な強みを強化し続け、iPhoneiPadといった独自商品につなげてきた。


 


 著者のこの本でのポイントは、今まで別々に論じられてきていた、モジュール型やすり合わせ型というメーカー側からの「ものづくり」の切り口と、機能的価値・意味的価値という顧客にとっての「価値」の切り口を、シンプルに組み合わせて見せたことにあります。
 そこでの著者の結論は、意外にも、意味的価値を継続的に生み出すには、本来日本企業が得意であるはずの、すり合わせ型や組織能力が必要条件だ、ということです。
 私は、昨今の風潮から、むしろモジュール型・革新技術志向型のものづくりと、天才主導的な意味的価値の組わせこそが勝ちパターンである、というイメージを持っていましたので、意外な感がありました。


 著者は、そうした意味的価値を継続的に生み出している典型的事例として、アップルの例を挙げているのですが、いかんせんアップルの事例は特殊すぎて、これだけで一般化するのはどうかな?という印象も受けます。
 北米での日本車の事例も、「低燃費で品質のよい」日本車が本当に意味的価値を持続的にキープしているのか、と言うと、昨今のHYUNDAIに押されている状況をみると、?を感じます。
 デジカメの事例で言うと、一眼レフの世界だけは意味的価値が残っていましたが、それすらもミラーレス化によって、SAMSUNGなどの攻勢を受け、風前の灯となっています。
 自動車でのBMWの例も挙げられていましたが、まだ業界の黎明期から長い時間をかけて高品質・高性能の意味(ブランド)を築いてきたわけであり、これから参入する新ブランドが、今さらそのポジションを確保できるものでもありません。


 この本を読むと、意味的価値を生み出している例として、腑に落ちるのは、B2C(消費財)ではなく、B2B(生産財)の事例です。消費者相手の価値づくりが、限りなくアートに近づいてくるのに対し、B2Cでの価値づくりは、顧客の「文脈」にどう商品をあてはめて価値を生むかというポイントに絞られるため、よりサイエンス的で、わかりやすくなります。特に、日本には「キーエンス」という何人も批判できない、具体的で絶対的な成功例があるため、著者の説明は圧倒的な説得力を持っています。


 多くの日本企業にとっては、社会的にも文化的にも、機能的価値をグリグリ高めていくことや、継続的に組織能力を高めることはもともと得意分野です。一番の課題は、どうやって機能的価値→意味的価値への谷(あるいは山?)を乗り越えられるかにあります。

 著者はそのための方策として、「商品プロセス」の変革、具体的には「商品コンセプトリーダー」への権限移譲と、それに加えた「デザインマネージメント」の重要性を指摘しています。自動車メーカーにおいては、昔から、商品「主査」として、重量級のマネージャーが全職能を束ね、商品企画・開発を統括して進める仕組みがワークしてきたそうです。著者は、それが付加価値がどんどん低下してきた家電業界とは異なり、最近まで自動車により大きな意味的価値を与えてきた要因であったとしています。
 スティーブ・ジョブスも、CEOでありながら、まさにそうした商品コンセプトリーダーそのものでした。
 日本企業には、本来、人材は山ほどいるわけで、社内でそうしたリーダーを育成する仕組み、そして彼らが力を発揮するプロセスをつくれば、多くのスティーブジョブスを生み出すことができるはずだ、ということなのです。



 私自身の経験から考えても、私の属する会社が日本企業のひとつの典型と考えるならば、現状の社内のプロセスは、機能的価値を高める商品づくりに最適化されているがために、意味的価値をもった商品を生み出すことは難しいと言えます。
 今までの機能的価値の体系を無視した尖った特長を商品化するためには、超えるべき社内の関門が多すぎ、多くの商品は角を丸められ、特徴のないものになっていきます。また仮に商品化できたとしても、販売現場までに多くの階層とステップを踏んでいくために、その思いを末端まで確実にコミュニケーションすることも困難だったりします。
 これを打ち破れるのは、強力なトップがいるときだけです。アップルも、サムスンも、現状では強力なトップに頼っています。しかし、トップに頼った経営は大きなリスクを抱えていますし、トップが自ら状況を的確に理解し判断を下せるのは、一人の人間としての能力的にも、限られた数の重要アイテムだけでしょう。

 そうなると必要なのは、著者が指摘するように、商品に特別な思い入れを持ち、組織を引きまわせる大声と腕力をも持った「商品キチガイ」になります。商品コンセプトリーダーと言えば聞こえはいいですが、結局、四六時中それを考えて、なりふりかまわず組織の壁を壊して、軋轢を恐れず物事を進められるのは、日本企業では一種の「キチガイ」です(アメリカでもスティーブ・ジョブスキチガイだったかも知れませんが)。
明治維新でも戦後でも、世の中の変動期に、大きな仕事をなしとげた人たちは、みなそうした人たちでしょう。
 日本の安定して閉塞した社会において、キチガイを肯定し、育成し、力を与え、野放しにする仕組み、それをどうつくっていけばいいのでしょうか。